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2005年10月29日

犯罪被害者等基本法と現代ジャーナリズムの危機

警察が事件事故を発表する際、被害者を匿名にするか実名にするかに関して、政府の犯罪被害者等基本計画検討会は、「警察がプライバシー保護と発表の公益性を総合的に懸案して適切に配慮する」との内容で合意した、と29日の朝日新聞が報じている。

従来、警察の発表は実名で行われ、それを匿名にするか、しないかは、マスメディアの責任に委ねられていた。その判断がメディアによって異なる場合が往々にしてあり、A新聞は匿名にしたが、B新聞は実名という例もあったし、おしなべて新聞とテレビは匿名だが週刊誌は実名というケースもあった。

匿名にしてほしい被害者(あるいは被害関係者)からすれば、結局、一部の実名報道から素性が割れてしまい、二次的被害を受けることも多かったのだが、それがとりあえず“容認”されてきたのは、それぞれのメディアの影響力がまだ限定されていたという事情による。情報がばらばらだから、何とか我慢できたということでもあろう(もちろん我慢の限度をはるかに超え、訴訟になっているケースもある)。

ところが、デジタル情報の伝播力ははるかに強力で、インターネット上でいったん実名が明かされれば、それはすべての人に公開されたに等しい(「実名が出てたよ」とあとから聞いても、該当記事を検索して探し出すことができる)。実名報道しないメディアがあっても、ほとんどメディア側の自己満足でしかなくなった。報道するメディアも、マスメディアとパーソナルメディアが錯綜し、そこで活動するジャーナリストの数も増えた。メディアとしてのまとまりを維持することは難しく、メディア関係者の一定の総意を作り上げることも不可能である。マスメディアが情報の交差点として、その流れをある程度コントロールできた「マスメディアの時代」は終わりつつある。

情報の流れがアナーキーになれば、発生地点でコントロールするのが一番という発想が生まれて当然だろう。トイレ脱臭剤のかつてのコマーシャルではないが、「元から断たねばダメ」ということだ。それは情報のコントロールタワーとしてのマスメディアへの「不信」、マスメディアの「役割否定」という、それ自体、きわめて深刻な問題だと言えよう。

犯罪被害者等基本法のもう一つの問題点は、匿名にするか、しないかという判断を結局、行政組織(権力組織)である警察に委ねてしまう危険だろう。私の経験で言えば、新聞記者が関係者の実名を知らずに原稿を書くことはあり得なかった。それだと該当者が実在するかどうかも確認できず、俗に言う「裏とり」取材もできない(記者が実名を知らないことと記事を匿名にすることとはまったく別である)。

そこに記者の誇りも責任もあったわけだが、いまでは権力側も、また国民の側も、マスメディアにそういう自覚があるとも、責任をとる体制(気構え)があるとも思っていないようである(かつては警察がいくら実名を隠そうと、敏腕な記者がそれを嗅ぎつけ、場合によっては報道してしまうから、結局は意味がなかった面もあった。いまのジャーナリストにはそういうガッツがないだろうという「侮り」が権力側に、とても出来ないという「諦め」がメディア側にあるのも事実のようだ)。

被害者の人権を警察に守ってもらえれば、たしかに安心かもしれない。駆け出し時代、岩手県警の優秀な刑事に「マスコミは被疑者や被害者の人権を守らない。だから警察が守るしかないのだ」と真剣な顔で言われたことを今でも鮮明に思い出すが、制度的に情報のコントロールを警察に任せてしまって、それでほんとうに「安全で安心して暮らせる社会を実現」(犯罪被害者基本法前文)できるかどうかは、よく考えるべき問題である。

個人情報保護法も同じ文脈上にあるが、さまざまな機能をプロの専門組織に委ねることで社会運営をスムーズに行ってきた従来の社会システムそのものが根本において揺らいでいる。それは、「表現の自由」にからむ重要な判断機能も(マスメディアや警察といった)一部の組織に委ねるのではなく、みんなで考えていかざるを得ないという、新しい社会システムの再構築という、文明史的な課題に結びつく。

それはともかく、「報道の自由」あるいは「表現の自由」にとってきわめて重要な法律が比較的あっさりと制定されていく事態にこそ、現代ジャーナリズムの危機を読み取ることができるだろう。

投稿者: Naoaki Yano | 2005年10月29日 18:46

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