2025年から<ジャーナリズムを探して>シリーズを始めたのに伴い、2025年以降のOnline塾DOORSの記録をOnline塾DOORS④<2025.1.20~>へと更新しました(一部ダブリ掲載あり)。塾の精神、これまでの授業など、ほとんど従来通りで、その趣旨は別稿のOnline塾DOORSへの招待、<ネットのオアシスを求めて>をご覧ください。「国境を越え、世代を超えて」がキャッチフレーズです。より多くの皆さんの参加を希望しています。
なお従来の履歴はOnline塾DOORS③のメニューからご覧いただけます。それ以前はOnlineシニア塾①<2020.5~2021.4>、および②<2021.5~2022.4>に収録しています。
2025年3月現在の講義は以下の通りです。
講座<若者に学ぶグローバル人生>
講座<気になることを聞く>
講座<とっておきの話>
講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>
講座<よりよいIT社会をめざして>
講座<超高齢社会を生きる>
講座<女性が拓いたネット新時代>
講座<ジャーナリズムを探して>
講座<ジャーナリズムを探して>⑤
◎第87回(2025.5.22)
升味佐江子さん【津々浦々、孤独な人への連帯を求めて、荒れ野で叫んでいます。一定の成果を上げつつ、YouTubeというメディアの限界も感じ、さらに一層発奮しているところです】
1986年4月弁護士登録。2009年から2012年まで最高裁判所司法研修所刑事弁護教官、2013年から2021年までBPO放送倫理検証委員会(委員長代行)、2017年度第二東京弁護士会副会長。公益社団法人、自由人権協会(JCLU)代表理事、公益社団法人発達協会理事なども務める。デモクラシータイムスにはスタートの2017年から参加、事務全般を担当するほか「山田厚史の週中生ニュース」、「探査報道最前線」などでキャスターを努めている。
デモクラシータイムスについては本シリーズ②で山田厚史さんから話を聞いているが、2017年の開設以来、そのよき伴走者、あるいは牽引者として事務一般を支えてきた弁護士、升味佐江子さんに、インターネットメディア全体の中でのデモクラシータイムスの位置付けや、現在のインターネットメディアとジャーナリズムのあり方について話を聞いた。
弁護士稼業のかたわら、ふとした経緯からジャーナリズムの世界に足を踏み入れた升味さんだが、主として安倍政権下の民主政治への力ずくの介入とそれにタジタジとする既存マスメディアの不甲斐なさ、一方でネット特有のアルゴリズムにうまく乗った新興ネットメディアの多彩とも乱立とも言える現状は、升味さんの「ジャーナリスト魂」を呼び起こし、それを掻き立て、一層の奮闘努力を促しているようだった(以下、升味さんの話。()内はメンバーの質問や発言)。
◇
デモクラシータイムスのチャンネル登録者は2025年5月21日現在で24万2500人です。2017年以来約8年間で配信してきた番組は3118本、年間400本に上ります。週3回ナマ放送もしています。運営資金は小口寄付と広告料です。年間3000万円を集めて、それをほぼ使い切るという感じですね。
デモクラシータイムスを始める前に3年間、デモクラTVの期間があり、ルーツが朝日ニュースターや愛川欽也さんの番組にあるのは山田さんのお話の通りです。初期メンバーは表の9人ですが、早野さんはすでに物故されました。デモクラシータイムスを始めた主観的理由は、時代の閉塞感を背景に、表現者の発表の場を確保したいという思いで、当時脚光を浴びつつあったYouTubeなどのネットメディアの可能性に賭けたということです。
ネットの世界では、1999年に神保哲生さんが始めたインターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」が、日本でジャーナリストがネットで勝負しようとした最初ではないでしょうか。ここは、広告に左右されない独立性を保つという趣旨で最初から会員制でした。ベーシック会員は月額約1000円で現在は会員数が2万5000人くらいだと思います。月額2000万円を超える収入ですから、スタジオを自前で持ちスタッフを常勤で雇い運営していると聞いています。そして、新しい会員獲得のためにYouTubeでは一部無料公開もしています。チャンネルとしては原則有料で、有料会員の獲得のために人目を惹く無料動画をつくるというのが、ネットの世界では主流ですね。番組を前後に分けて前半は無料で人を集め、面白いところで「この後は有料です」という方式も多いのではないでしょうか。専業になれば、生活もかかるし見通しの立たない寄付には頼れないというのだと思います。ただ、集客のためという位置づけの無料公開動画は、タイトルや内容がどうしても煽情的になる、テーマも今話題になっている表面的なものにならざるを得ず、誰も着目していないけれど価値がある対象を深く掘るというジャーナリズム本来の方向性とはちょっと違ったものになりますね。
その流れからすると、私たちは異端かもしれません。視聴回数を稼ぐ動画がある一方で、私たちは「これを伝えなければ」と思っている、ここでしかやっていないテーマは派手さがなくても地味に長くお金もかけてつくっています。そして、以前のデモクラTVでの経験から、YouTubeでチャンネルを有料化してしまったら、結局は、その問題に興味を持っている人だけしか見てくれないという限界がある、いわばもともと同じ意見の人が室内で集会をしているというか、庭池の鯉に餌をやるような感じがして、それが嫌ですべての動画を無料配信にしています。原発反対の人ばかりのところで原発反対を叫んでも、反対の人数は増えない。どこまで可能性があるかはわからないけれど、街頭に出て無関心な人の耳目に触れることを考えました。荒れ野で叫ぶというか‣‣‣。「津々浦々、孤独な人への連帯」をめざしたわけです。
メニューの一端は以下の通りです。
いわば総合チャンネルです。ねらいは「日本一わかりやすいニュース解説」で、モットーとしては「最初に鳴く、しつこいカナリア」をめざしており、現場取材を大事にしています。番組はこちらで消さない限りずっと残っていますので、古い番組が思わぬ時にヒットしたりもします。これはYouTubeならではの強み、アーカイブの力ですね。
左の表はチャンネル登録者数の変遷です。コロナ、統一教会、マイナ保険証、大阪万博、小池都知事、兵庫県知事などのテーマを集中して配信することで視聴者が増えています。ここに上がっているトピックは、どれも先鞭をつけたのは私たちだとひそかに思っています。業界のひとが、ネタ探しに番組を見ているという話は特にコロナ後に何度も聞きました。大阪万博など私たちが2年前から言っていたことがその通りになったし、安倍首相と統一教会問題も私たちが最初に動画で取り上げたと自負しています。コロナ対策もマイナ保険証問題も世の中の風を少しは変えたかなという手応えは感じています。
YouTubeは自由な言論空間とは言い難い
ネット上のさまざまな情報発信の中には、ジャーナリズムを標榜したものもたくさんあります。注目すべき動きは、2018年以降、投資家が関与し大きな資本をもって参入して、しかも多くの登録者を獲得している一群のサイトが出現したことです。代表的なのが「ピボット(245万人)」、「ニューズピックス(148万人)」、テレビ東京出身の高橋弘樹さんの「リハックQ(121万人)」などで、経済ニュースや話題の人物に焦点を当ててユニークな番組づくりをしています。
それまでYouTubeの政治分野のチャンネルは、上位100位まで、安倍晋三チャンネルや虎ノ門ニュースなど右派系の政治家の個人チャンネルかそのグループの評論家の出るチャンネルがほとんどでした。それが、2020年前後から明らかに変わってきています(中身はあまり変わらないですが)。マーケッティングに重点を置いて、ターゲットも定めその関心にもっともヒットする話題や人を集めて番組を作る手法です。まとまった資本とある意図をもって参入したり、ポピュリズムや保守政党とのつながりがあったりですが、その存在感と力は、圧倒的になりつつあります。これに対して、リベラルなジャーナリズムはむしろ少数派です。
私たちのめざすジャーナリズム追求サイトの可能性はどのくらいあるのか。私としては調査報道に特化しネットで取材結果をビジュアルも工夫して公表している若いジャーナリスト集団『Tansa(探査)』を大変興味深く思っています。海外を含めた果敢な現地取材、若いからできる体力に任せた膨大な量の公表資料の分析など、コタツ記者化、記者会見記者化しがちなネットのジャーナリストに喝を入れてくれるのではないかと期待しています。
ただ、ネットのアルゴリズムそのものがもっている大きな制約も無視できません。一言でいえば、「YouTubeは自由な言論空間とは言えない」ということです。たとえば、ある動画を配信すると、そこにYouTubeが適宜広告を挿入、その中から配分されるものが私たちの収入になるわけですが、内容によっては広告料の配分がないものがあります。
YouTubeは、巨大な広告業のマッチングサイトです。大量の広告の表示先の希望と動画をAIでマッチングさせるわけですが、広告主が広告を届けたいと希望する年齢、収入、関心などなどの視聴者群にその広告が表示されるように綿密にシステムが出来上がっています。広告料を高く出す証券会社や投資顧問会社であれば、経済や株価に興味があって、都市でも豊かな地域に住んでいて、高収入のビジネスマンか、悠々自適で投資の余裕のある高齢者に広告を表示したい。そうすると、金相場やこれからの株の動向、EV業界の今後と言ったテーマで、経済評論家やジャーナリストがしゃべる番組に広告をつけたいわけです。
他方で、原発反対、沖縄の米軍基地などというテーマの動画ばかり見ている視聴者の関心にこたえる広告主はなかなかいないだろうと想像はつきます。さらに、従軍慰安婦や南京虐殺、イスラエルの蛮行を告発する動画となると、むしろ広告主としては政治的な主題やコントラバーシャルなテーマは避けた方が賢明だ(そういう動画に広告が流れると企業自身が炎上する可能性もある)と思うでしょうから、YouTubeとしては広告主にお勧めしないというカテゴリーにいれます。そうすると、私たちに広告料は分配されません。最近ですと、マイノリティレポートとか韓国通信、パレスチナの現地取材のようなものだけでなく、毎週やっているニュースショーでも「広告適格性がない」として数万回見られても分配が全くない番組が、一か月に配信する番組の1割強あります。
結局、YouTube側からすると、広告主がつきやすい動画に優先的価値がある。「よく見られて、広告料がたくさん入る動画」=「いい動画」です。ジャーナリズム本来の機能である「権力批判」、「権力監視」などの番組に特に価値を見出しませんし、報道だからと高く評価することはまったくありません。その意味でYouTubeの基準は明確です。商業的に値段の高い広告をつける価値のある動画か、ということです。
さらにYouTubeで配信する際の問題は、広告料の配分がないだけでなく、「削除」されることがある点です。たとえば、戦争やテロ、残虐な場面が含むもの、幼児虐待や健康に関わるものに関しては、膨大なガイドラインがあり、これに反すると広告料が入らないだけでなく、YouTube上からその動画が放逐されることになります。YouTubeの基準で動画が予告なく削除され、そういう動画が3回蓄積するとチャンネルそのものが削除されて、それまで公開してきたすべての動画がなくなってしまいます。「削除」は予告なく突然に行われます。基準は、分かりません。問い合わせると、「ガイドラインに書いてある」と返事があります(YouTubeとのやり取りは全てウェブ上で行われ、電話など直接人の声を聴くことはありません)。
しかし、そもそもガイドラインが膨大なうえに抽象的で、動画のどの部分がどのガイドラインのどこにあたったのか、ほとんどわからないですね。ただ、テロの扇動と言われるようなものでなければ反政府的とか政権批判的なものでも自由です。根拠のない誹謗中傷は、名誉棄損的なものとして削除にもなりますが、そうでなければ相当に広い範囲で許容されています。だからこそ、私たちのチャンネルは活動できていますし、YouTubeは中国などでは遮断され視聴できないわけです。
確かに、コロナが蔓延した時期は、非科学的な噂や陰謀論がYouTubeに広がって、これに対処するために「WHOや政府の公式見解に反する非科学的な動画」というのが削除対象となったことがあります。私たちの動画の中でも、初期に政府のコロナ政策を「科学的に」批判した動画が削除されたことはありました。この時は、ちょうどWHOの見解が少しずつ変化しており、新しい論文を根拠に異議を述べて復活しましたが、逆に、コロナの副反応の死亡事例について、その医学的メカニズムの仮説を解説した動画は、根拠となる論文等を指摘して異議を述べても通らず、削除されて回復していません。この辺りの基準が不明瞭なのが問題です。
これは動画を配信する側に複雑な影響を与えます。最も問題なのは、削除の基準が私たちの側には事前に明確でないという点です。その結果、突然バンされる危険を避けるために自己検閲するようになりがちです。さらに、事後の救済措置が実効的ではありません。YouTubeは私企業で、私たち配信者はYouTubeのガイドラインを守って動画を投稿する約束で契約していますから、削除について不満を持っても民対民の問題で、政府の検閲のように裁判所に救済を求めるという制度はありません(公的機関がこのようなあいまいな基準で「削除」したら、憲法違反で訴訟になります)。
異議を述べられる形ばかりのフォームがありますが、それで救済措置がとられることはほとんどありません。企業と利用者が対等であれば、契約上の取り決めで済みますが、YouTubeは動画配信の世界では独占的な支配者ともいうべき存在です。このような状況で、一方的な「削除」が契約上可能というのは、大きな問題です(もっとも、いまYouTubeで問題になっているのは、暴力的な動画、フェイクニュースの垂れ流しや兵庫県の混乱の原因の一つであり何名もの自殺者を生んでいる立花氏の動画のような名誉棄損や脅迫・強要まがいの動画、子どもを含む性的動画などの深刻な問題で、少なくとも日本では政治的意見によって動画が削除されたという実例は知りません。広告料の分配がないというのではなく、削除にまで至った事例は、政治的意見をまったくのフェイクの事実に基づいて拡散したり、表現が名誉棄損・侮辱的なものであったからではないかでしょうか。「動画が削除された」というのは、そのこと自体が一定の界隈ではチャンネルの宣伝効果を生むので、「削除された」と騒ぐ人もいますが、削除の理由は政治的意見やテーマ自体ではないと思っています)。
いまはYouTubeだけが突出していますが、大きく言えば、インターネットのアルゴリズムそのものの問題もあります。データを自動的に分析して最も広告効果の上がるところに配信するというモデルが採用されている結果、自分がかつて見た、あるいは自分の意見と同じ傾向の動画ばかりが画面に現れるという「フィルターバブル」、「エコーチェンバー」も起こります。兵庫県知事選挙で問題になりましたが、同じことは日常的に起こります。視聴する方も、そのつもりで情報を探しに行かないと、世界中が自分の意見と同じなんだ、実は自分の意見が多数派なのだという誤解に陥ります。政治情勢も見誤りますし、判断がゆがむ危険は常にあります。
広告料の基準にはかなりの幅がある
(YouTubeは便利ではあるが、一方でやっかいな問題もあると) そうです。広告を取りたい、お金にしたいと考えると、より刺激的、より大衆迎合的に、という誘因が働きます。より短期的な視野の動画となり、長期的視野からの批判的論評など到底できなくなります。これは本来のジャーナリズムからは遠ざかる。形だけ派手で一緒に囃してくれる視聴者がついて、配信者が悦に入るという悲劇的なことになります。
広告がつかないというのは、見ている人には広告がついているんだけれど、私たちには支払いがない、ということです。月に公開する番組35本のうち3~4本になることもあります。だいたい、年間では1割程度は広告料の分配がありません(こういうことがあると、普通は、広告適格性がないと言われない番組をつくろうと委縮するのですが、私たちは勲章だと思っています)。
ただで便利なシステムを使わせていただいているのでしょうがないところがあります(自分でシステムをつくれば数千万かかりますし、常にハッカーが入らないようにとか安全性の確保やメンテナンスをする必要があり、年間の維持経費だけでも数千万かかると思います)。ただ、今の私たちのようにこれで食べていかない人たちが運営するのではなく、デモクラシータイムスをだれかに「企業」として引き継いでもらうことになれば、安定した収益が必要で、その手っ取り早い方法は番組の有料化です。でも、そうしようと言い出す同人はいない。初心通りこのままで行くしかないと思っています。メンバーも高齢化し、初期の8人の平均はすでに74.5歳。運営は「ゆる~い合議制」をとっていますが、ある時点ですっぱりやめようという人、これだけお客さんがついているのでそうはいかないという人、集まるたびに堂々巡りの状態です。
(広告料金の基準は?) 基準がさまざま、必ずしも動画の時間の長短に拠るわけでもないですね。1クリックあたり0.1~0.3円が相場だと言われていますが、番組によって違います。1クリック1.0円というのもあり、うちの番組はほかのチャンネルの動画に比べるとわりと高いと思います。山田さんが司会をしている経済解説は高い部類です。ちょっとおちゃらけた、よく見られる番組はそれほど高くない。すべてAIで決まっているから、どうなっているのか細かい事情は分かりません。
ユーチューバーで大金持ちになっている人は、YouTubeの広告料だけではなく、直接、企業から入る広告料の方が大きい。そういう広告を「会社案件」と言います。たとえば、インフルエンサーと呼ばれる人気のある若い女性のチャンネルは「美容・化粧」がテーマのものが多いのですが、化粧品会社が視聴者の多いチャンネルに多額の広告料を払って直接「今秋の口紅はこれがいい」などと勧める番組を作るように依頼し、YouTubeの広告とは別に番組の中でその化粧品で化粧をするところを見せて勧めたり、商品を見せてお勧めするというものです。
これは、ターゲット層に直接商品を宣伝できるので非常に人気のあるマーケット手法で、ユーチューバーと会社を結びつけるための広告代理店も、そういうユーチューバーをかかえる事務所もあります。月に100万円単位で稼いでいる人もいるようです。デモクラシータイムスには、この本を取り上げてほしいというようなお金と全く関係のない依頼はありますが、なかなか番組中で宣伝するような商品を持ち込む人はいません。YouTubeから「もっと細かく番組に広告枠を設定すると(見ている人には大変邪魔くさいことになりますが)収入が1.3倍になりますよ」というような提案がきます。
(YouTubeのコンテンツの傾向は「今だけ、金だけ、自分だけ」と言うか、新自由主義的な弱肉強食的なものが多いですか) 新自由主義的な投資を勧めたり、若者受けする一定の思考傾向の知名人を出したりする番組は視聴率もよく、だからYouTubeに歓迎されますね。ジャーナリズムの点で言えば、NYTではないけれど、YouTubeでないコンテンツがもう少し増えないかと考えているところです。『Tansa』はネット上で文字のメディアの新境地を求めているので、どうしてもその時の風に乗って右往左往しがちな動画の世界とは異なる媒体として、もっと大きくなってほしいなあと思います。
(法曹の世界からメディアに関心をお持ちになり、とてもほかの仕事は出来ないのではないかと思うほど力を入れておられる理由は?) 回答は<私がジャーナリズムに深入りした理由>参照。
<私がジャーナリズムに深入りした理由>意図してこうなったわけではないんですね。20年前、朝日ニュースターのころ、知人に「出演者に女性がいないから出てくれ」と乱暴(?)に誘われたのがきっかけです。その後2010年頃から世の中が息苦しくなってはいましたが、2012年暮れの第2次安倍政権の登場でメディア攻撃が強まり、好きなことを言える場がなくなるんではないかと、非常な危機感を感じました。せめて地下放送でいいから、「これは違う」と言い続ける場所が必要だと思ったわけです。
デモクラTVの3年間はお金の面も含めて、会社を私物化する人たちと出口のない摩擦があり苦労しましたが、番組の作り方や視聴者の見方を勉強する有益な期間でもありました。安倍自民党の憲法改正案が出てきた時期には、そういうむき出しの力で押してくるものには負けたくないという思いも強まり、「押しつけ憲法論」を論破する番組をつくったら、意外に反応がありました。2012年から2022年までの10年間は、自分自身の生活でも、世の中、けっこう怖いことになっているなという感じがあり、乗りかかった舟なら沈没するまで乗ってないといけないかも、と。強い正義感があったわけでもないのに、それしか選択肢がないままにここに至っている感じです(^o^)。デモクラシータイムスからお給料が出るわけではないので、事務所を維持して、ご飯を食べるために本業もまじめにやってますよ。
◇
メディアはメッセージである カナダのメディア研究家、マーシャル・マクルーハンは「メディアはメッセージである」という警句で、媒体としてのメディアは、その内容であるメッセージ以上のメッセージを読者に伝えることを強調した。たとえば同じ西部劇映画でも暗い劇場の銀幕を通して見る場合と、お茶の間の一家団欒の場で見るのとでは影響が違う。映画館を出てきた男性が思わず蟹股姿になっているということは茶の間では起こらない。ましてやスマートフォンの小さな画面で見るのとは違うということである。
インターネットというメディアはそれがデジタル情報からなっていることで、これまでのメディア(新聞・出版・放送)とは違う影響を与えるが、とくに重要なのはそのアルゴリズム(プログラム)の機能である。それは、升味さんの言うように、多くの情報が一企業であるグーグル(YouTube)好みに染められるということでもあるが、もっと深いところで私たちの精神や感情に影響を与えるだろう。
一方でインターネットにはどんな少数意見でも、世界の片隅の誰かには届くという利点もある。マッチングの威力である。アマゾンが台頭していたころ、雑誌『ワイアード』編集長のクリス・アンダーソンが書いた『ロングテール』(2006)という本に、こういう話が紹介されている。
アメリカにはインド人が推定で170万人住んでいる。インドは毎年800点を超える長編映画を製作しているが。それらの映画はほとんどアメリカでは上映されない。なぜなら映画館の客はその周辺住民に限られており、そこでヒットするためには、みんなに喜ばれるハリウッド大作である必要があった。「地理的にばらばらと分散した観客は、いないも同じになってしまう」。しかし、インド映画のオンライン販売になると、170万人は「顕在化」する、と。
Online塾DOORSの同士だった故唐澤豊さんは「情報通信講釈師」を名乗り、常々、インターネット上の雑多な情報の海の中でも、才覚と努力をもって探せば、そこには表面に広がる一面的な情報とは違う、深い思索に裏打ちされた珠玉の情報があるのだと言っていた。一部の大企業や超富豪によって恣意的に運営されるインターネットを変えていく契機はあると私は思っているが、そのためにはIT社会に生きる個人一人ひとりの覚悟が必要でもあるだろう(Y)。
講座<ジャーナリズムを探して>④
◎第86回(2025.5.12)
尾形聡彦さん【死にゆくメディアにノスタルジーを感じているより、新しいメディアでジャーナリズムを育てる。そう考えて3年ほど前にアーク・タイムズを立ち上げました】
1993年に朝日新聞入社。米スタンフォード大客員研究員をへて、サンノゼ、ロンドン、ワシントンなどで特派員を経験。2018年〜2021年にサンフランシスコ支局長として、IT大手のGAFAを取材。グーグルのスンダー・ピチャイCEO、アマゾン創業者のジェフ・ベゾス会長、テスラのイーロン・マスクCEOにもインタビューした。2022年に朝日新聞を退社、同年7月にアークタイムズ(Arc Times) の YouTubeチャンネルをスタートさせた。著書に『乱流のホワイトハウス』(2017年、岩波書店)。
https://www.youtube.com/channel/UCJpCI6Q0mcy6D_FMqenM94g
尾形聡彦さんは朝日新聞で長らく海外特派員を経験したあと、紙の新聞が若い人を中心に読まれなくなり、ジャーナリズムを守る気概も薄れつつある中で、古いものにノスタルジーを感じるよりも、ネットの世界で新しいジャーナリズムを追及する組織を立ち上げた方が早道だと考えた。新聞社を自ら退職し、2022年にかねてから準備を進めていたアーク・タイムズ<深い取材と質問を通じて市民社会や民主主義を前進させるメディア>をスタート。いまはスタッフも少人数だが、すでに利益が出る体質になっており、ここ10年で財政的にもしっかりした基盤をもつネットジャーナリズムを育てたいという。その構想は気宇壮大であるとともにジャーナリズム追求への強い意志に裏打ちされており、参加メンバーから熱い視線がそそがれた(以下、尾形さんの話。()内はメンバーの質問や発言)。
◇
朝日新聞に入社したのは1993年で秋田支局、千葉支局を経て経済部に異動、1年間スタンフォード大学客員研究員となりました。その後3年ばかりシリコンバレーで、当時はスタートアップだったグーグルの株式上場、アップルに戻ってきて間もないスティーブ・ジョブズのiPod発表などを取材しました。いったん帰国し財務省を担当したあとロンドンへ。その後ワシントンに3年間駐在し、発足直後のオバマ政権(2009年~)も取材、そのときから安全保障問題に取り組むようになりました。日本に戻り、経済部で財務省キャップなどもしました。内外の新聞記者取材を通じて、私はいつも率先して質問するようにしてきましたが、表の取材で名前を覚えてもらうことが、裏の取材にも威力を発揮することを学びました。
アメリカでは2007年に「ポリティコ」がスタートするなど、オンラインメディアへの関心が高まりました。紙とネットと器(メディア・プラットホーム)は違っても、ジャーナリストは紙のメディアからネットに移り、また逆の場合もあるわけです。そういうのを日本でもやりたいと思うようになりました。
一方で新聞はどんどん読まれなくなっていました。朝日の中でも改革案を出したりしましたが、結局、新聞は変わらないということもわかってきた。自分で小さいコアを作って拡大した方が役に立つのではないかと考えるようになったわけです。その後、2018年にサンフランシスコ支局長として赴任しましたが、その間もスタジオ探しや各種のリサーチを始めていました。自分自身の生産性が高いうちにやめたいと思っていましたが、GAFAの大物を取材できるのは得難い経験でもあり、結局、サンフランシスコから戻ったあとの2022年6月に退社し、同年7月にアーク・タイムズを立ち上げました。国際的なメディアになることを念頭にカリフォルニア州でも会社登記をしています。
折りしも安倍晋三前首相が奈良で銃弾に倒れる大事件が起こり、7月12日に急遽、初めてのユーチューブ番組を配信しました。コアメンバーは編集長の私、カメラマン、会社運営や編集・事務をする幹部、それにキャスターとして参加していただいた東京新聞記者の望月衣塑子さんら。ほかに4人~5人ぐらいの協力者がいます。
ニュースは基本的に毎日配信しており、休む日がときどきある程度です。配信は午後5時から9時ごろが中心。例えば斎藤元彦兵庫県知事の記者会見に出る日は午前11時ごろ新幹線に乗って、午後3時から会見に参加、その後ライブ配信をします。今日は岡山に来ています。明日は高松でジャニーズ関係の会見があるためです。この後岡山で夕方6時からライブをやったあと、深夜に高松に入る予定です。明日は朝から取材してジャニーズ関連の会見のあと東京に戻り、午後6時ごろからライブ配信といったようなスケジュールです。
今のYouTubeのチャンネル登録者は15万7千人です。YouTube配信は無料ですが、チャンネル上で有料のメンバーシップ制も導入しており、メンバー限定の動画を配信しています。広告収入やサブスクなどで、利益は出る体質になっています。3年弱でここまで来ており、当初の予想を超えるペースです。今後さらに拡大していきたいと思っています。ニュースチャンネルのなかで、女性の視聴者が多いのが特徴なので、そうした特性を生かしつつ、成長速度を加速させていきたいと思っています。
いまはユーチューブ配信が中心になっていますが、今後はオンラインのニュースの提供を拡大、記者も50人、そして100人へと増やしていき、海外にも拠点を置ける財政的にしっかりした組織にしたいと考えています。
新聞は若者から読まれなくなり、記者の能力は衰えている
2015年のデータですが、公表されていた数字で、各主要紙の40歳以下の紙面の有料購読者の割合を見た時にびっくりしました。日経を除いて、朝日新聞を含めた主要紙は5%前後でした。新聞は若い人にはまったく届かないのだと改めて驚きました。中高年だけのものになり、その層がさらに高齢化に向かうと、いよいよ消滅する。いま、朝日新聞の部数は330万部程度で、読売新聞は560万部程度だといわれます。部数が小さくなってるのに、減り方のスピードが止まらず、新聞によっては、部数減がむしろ加速していく状況です。
記者も、物議をかもすような権力批判の記事よりも、自分の関心事項ばかりを取材して書く傾向にあるのではないか。人々の人権や権利を守る記事を書いてきた、いわゆる人権派の記者たちは冷遇されています。新聞社に入ったのに、なぜここまで出世したい記者が多いのかなとも思います。幹部たちは出世のためにはリスクをとりたくないから、部下にもリスクを回避するような記事を書くように求める。大きい組織で本来はまだ余裕があるはずなのに、実際は権力を監視する機能がかなり衰え、ジャーナリズムとしては相当厳しいところに来ていると思います。
だからむしろ、ジャーナリズムの新しい組織を作ろうと考えました。ジャーナリズムはしっかりした経営者や編集責任者がいないと完結しない。自分が覚悟をもってメディアを立ち上げ、経営すれば、可能ではないかと思いました。だから、それを出来るだけ早くやりたいと思ったわけです。新聞はあと10年で10分の1ぐらいの規模になると思います。そのときにジャーナリズムのコアを担う組織をつくらないと、日本の民主主義はダメになる。世界も同じ状況で、今は新しいメディアが拡大するフェーズに入っている。我々も規模をどう拡大し、どう人員を増やしていけるか考えているところです。ニューヨーク・タイムズ(NYT)はデジタルだけで1000万人の有料購読者がいます。こうなれば十分にやっていけるわけです。
紙のメディアは一覧性があり、読もうとしていない記事も自然に目に入る。見出しの大きさでニュースの重要さもわかり、すぐれたメディアだと思います。しかし、残念ながら読まれていません。テレビもすたれ始めている中で、それらを読んでください、見てくださいといっても詮無いことです。ネットの情報は短く、自分でスクロールして主体的に記事を読んでいるようで、実は同じ傾向の記事を見ることになったり、興味のない情報には接しなくなったりする短所があります。ただ、テクノロジーの発展とともに時代もメディアも変わっていくのは必然です。ネットを通じてより良い形で、幅広いニュースを伝えることを考えていきたいと思っています。
財政基盤もしっかりしたネットメディアをつくる
(前川喜平さんと田中優子さんが共同代表をつとめる「テレビ輝け!市民ネットワーク」という団体が、テレビ朝日ホールディングスの株主総会でテレビ報道の公正中立を求めて株主提案した件で、アークタイムズがテレビ朝日放送番組審議会委員長の見城徹氏と同氏経営の出版社、幻冬舎によって訴訟を起こされていますね) 田中優子さんに株主提案の経緯や目的を話してもらっただけなのに提訴されました。われわれとしては、これを「スラップ訴訟(SLAP=strategic lawsuit against public participation、市民参加を妨害するための戦略的訴訟)」と受け止めて、徹底的に争っています。報道の自由を封殺する動きには断固戦います。いまそのためのご寄付やカンパも募っています。
(新聞が持っていた長所、記者訓練のノウハウなどをどう考えますか。記者クラブにもそれなりの役割があるのではないか。既存メディアの持っていた長所をネットメディアで維持できると思いますか) 日本は新聞購読率の高い国だった、讀賣1000万部、朝日800万部を擁し、海外支局も特派員数も多かった。大きな資本で大きな企画をして、新聞を売る術もたけていたが、いま急速に部数が落ちていて、どうしていいかわからない状態です。いま記者クラブはほとんど機能していないのではないか。個々の記者には頑張っている人たちもいます。しかし、記者クラブ内で団結して記者たちが厳しい質問をするようなことはほとんどない。沖縄や兵庫など地方の方がまだ健全だと思うが、中央の記者クラブはかなりダメになってきているように感じます。朝日の記者も、一部の個性的な記者を除いて、ほんとに目立たなくなった。
財務省の取材キャップをやっていたとき、若い記者から「批判に何の意味があるんでしょうか」と聞かれて驚いたことがあります。将来を嘱望されているような記者が「批判することに何の意味があるのか」と思っているわけですよ。今やこの世代の記者たちが、デスクや部長になっている。やはり新聞の紙面の質が低下している背景にはこうした構造上の問題があると思います。
記者クラブは今、単なる互助会となり、権力と一体化しつつあるのではないかと、昨年来、国民民主党の玉木代表の記者会見に出ていて感じました。記者たちの高い給料も、記者の個性が失われていることに影響していると思います。高い給料を守ために、保身に走る傾向が強くなる。権力におもねるようになるだけでなく、自社の幹部に対しても、モノを言わなくなっている。
もっとも記者クラブが歴史的にどれだけ戦ってきたかは実は疑わしいと思います。個性的な記者が多かったことで、それなりの機能を維持していたというのが現実でしょう。メディアにもコアの部分で優秀な人はいると思うけれど、今、どこにいるのかはわからない。社会全体の右肩下がりの影響が大きく、その中でどうやって生き残るかしか考えていないのではないか。権力に立ち向かってはじかれるよりは、中に入って行ってヨシヨシとされる方がいいと思ってしまう人が多いように感じます。
全国紙の中で讀賣だけが残るという意見がありますが、私は讀賣も苦しいと考えています。日経新聞は、ビジネス情報や株価の情報を扱っているので一定の形で残ると思う。一般紙はどこで生き残るかを考えると、解がない。新聞社は今、編集部門はむしろお荷物と見ていると思います。編集は縮小均衡で赤字が出ないようにしていき、むしろ不動産など他部門で稼ごうという。まったく間違った考えだと思います。これは記者のせいではなく、経営の失敗なのだが、ほんとに悪循環ですね。
(現在の収入構造について) メンバーシップによる購読収入と、広告収入が主です。寄付やカンパにも助けられています。広告は、グーグルが事後的に動画に差し込んでくるもので、私たちは広告主との接触は一切ないので、広告主に影響されるということはありません。メンバーシップの数は公表していませんが、現代の段階である程度の規模はあります。利益が出る構造になってきているので、業容の拡大に向けて、いろいろ検討しているところです。
(アメリカではネットメディアでもピュリッツァー賞をとれるような「プロパブリカ」とか「ポリティコ」などがあるけれど、日本での見通しは?)(朝日新聞が紙を諦めてデジタルだけでニュースを伝えていくのはどうか。朝日新聞デジタルはユーザー20万人くらいで、しかも新聞との併読が多い。外から見ていると、伸ばそうという意識もあまりなさそうだが)
なぜ新聞社を辞めたのかよく聞かれます。多くの人は定年後だったりするけれど、私の場合は、早くしないとメディアの変化に間に合わなくなると思って辞めました。10年後に、全国紙が消滅に近い状態になるときに役割を果たせるように、何とか間に合わせたいと思っています。そのとき、どれだけの規模になるかはともかく。NYTはデジタルの有料会員だけで1000万部、朝日デジタルはいまだに20~30万人だと言われます。調査報道はお金にならないというけれど、実は、売り上げを増やすことにもつながると思います。NYTがやっていることはほぼ調査報道のようなもの。「政権がいま、水面下ではこんなことを考えている」、「トランプ大統領はこう言ったが、その裏側にはこんな意図がある、こんな人々の働きかけがある」、こうした本質をビビッドに伝えるのは立派な調査報道です。そこにはニュース性があるし、人びとの関心も集まる。NYTにはいまのジャーナリズムで力で掘り起こせる、最も質の高い情報がそろっているから、人びとはおカネを払う。
朝日新聞にもそれは出来ると思うけれど、その意思がない。経営の覚悟もない。「なぜネットの中でバズっているものを、2〜3周遅れで追いかけるのか」と、言ったことがあります。「それよりもバズるようなニュースを作り出さないと。朝日新聞にはそれができる陣容が揃っているのに」と。そこがわかっていない。もう1つはリスクをとりたくないんですよ。
朝日新聞をはじめとした新聞は、いいメディアでした。でも衰退し、質が低下し、そのニュース部門を自ら立て直そうという意思がない組織に、残念ながら未来はありません。日本の新聞は、この130年間近く、人々にニュースを伝える「器」として支配的でした。しかし、その「器」はすでに、デジタルに変わってしまいました。ダメになってしまったものを嘆いてもしょうがないと、私は割とクールに思っていて、死にゆくメディアにノスタルジーを感じているより、新しいものを作って新しいジャーナリズムを育てるしかないと思っているわけです。
調査報道をどう続けるか。まず一定の規模の利益が安定的に出るような態勢を作って手を広げていかないといけない。報道記者を増やし、質の高い報道を継続的に生み出し、それがさらなる収益につながるNYTのような好循環を作りたいと思っています。日本にも調査報道に特化した「タンサ」がありますが、一つのすばらしい方向性だと思います。
私としては、まず商業的にジャーナリズム、調査報道が成り立つような財政的基盤を築きたいと考えています。調査報道が特別なものと考えているわけではありません。もともとジャーナリズムには政治権力の監視という意図があったはず。いま米がこんなに高いのになぜ問題にしないのでしょうか。おかしいと思います。いまの私は8割がた経営のことも考えざるを得ないから、取材する時間が減っています。朝日の新聞記者時代は、記事だけ書いていれば良かったから、今考えたら、幸せだったと思います。時間もあり、高い給料をもらっているんだから、もっとちゃんとやれよと思いますね(^o^)。
<私にとってのジャーナリズム>ビル・ゲイツにインタビューしたときに「新聞はどうなると思うか」と聞いたら、「世の中に起こっていることをきちんと取材し、それを咀嚼し、世の中に伝えるという仕事は残ると思う。ただ、それが新聞かどうかはわからない」と言われました。まったく同感ですね。ジャーナリズムというのは、相手とは違う市民の立場で取材して、事実を突きつけ、これはどういうことなのかを問うことですね。
2020年のアメリカでの取材で、トヨタ自動車のEVへの取り組みについて現地幹部に「日本はなぜEV開発がこんなに遅れているのか。2025年にはもう勝負がついていますよ」と質問したことがあります。そうしたら後から広報の人がやってきて「なぜあんなことを聞いたのか」と詰問してきた。「上が怒っている」と。しかし「トヨタのEV対策は遅れている」と指摘するのがメディアですよね。「王様は裸だ」と示すのがジャーナリズムの役割だと思っています。
◇
目指すはネットジャーナリズムの雄 「ジャーナリズム(journalism)」という言葉は「日々の記録」を意味する「ジャーナル」から出ており、日々の出来事を認識し、表現し、公開する精神活動である。一般に民主主義社会を支える重要な機能とされ、その大きな柱が権力監視だった。かつてジャーナリズムの雄を誇った新聞が担った役割は、
①公正な報道
②価値評価:1日という区切りの中で、昨日の世界はどのようなものだったかを整理して読者に提供する
③社会を束ねる
ことにあった。②は記事の扱い(大きさ)に差をつけることによって、一定の認識の枠組みを提供することであり、③は多元的な社会のまとめ役だと言えるだろう。
新聞だけではなく、出版も、テレビも、ラジオも、さらには映画も、アニメも、それらがメディアである以上、ジャーナリズムと無縁ではないが、だれもが情報を発信できるネット時代では、雑多な情報があふれる混沌の様相も見せている。アメリカでは早くからジャーナリズムを追及するネットメディアも盛んで、そこには多くのジャーナリストが集まり、ピュリッツァー賞を受賞するような記事も書かれている。尾形さんはアークタイムズを経営基盤もしっかりした日本におけるネットジャーナリズムの雄にしようと日々奮闘しているようである。(Y)
新講座<ジャーナリズムを探して>③
◎第85回(2025.4.21)
田淵俊彦さん【ホールディングス制と海外配信メディアの進出がテレビのあり方を変えました。テレビは「放送文化」としてのアイデンティティの危機に直面しています】
放送の歴史ということでは、戦前の1925年に東京・愛宕山からラジオ電波が発信されて、今年でちょうど100年になる。もっともテレビは戦後、1953年のNHKと日本テレビが最初だから、まだ70年の歴史しかない。その間、1959年のミッチーブーム(皇太子妃ご成婚)、1964年の東京オリンピックを経て、テレビは一気にお茶の間メディアの中心になった。評論家の大宅壮一が「一億総白痴化」とテレビの弊害を警告したのは1957年だった。
そのテレビが現在、インターネットのユーチューブをはじめとする動画配信に押されて、メディアの王座をすべり落ちようとしている。わずか70年の激しいアップ・アンド・ダウンである。最近、世上を騒がせたフジテレビの混乱は、その象徴のようにも思われる。テレビはこれからどうなるのか、どこに向かっているのか、どうすれば「文化産業」としてのアイデンティティを守ることができるのか、テレビ東京に37年間在籍し、ドキュメンタリー、ドラマなどの制作部門で活躍したあと、2023年から桜美林大学へと転じた田淵俊彦さんに話を聞いた。
映像作家、プロデューサー、ジャーナリスト。テレビ東京で世界各地の秘境を訪ねるドキュメンタリーや「連合赤軍」、「高齢初犯」、「ストーカー加害者」などの社会派ドキュメンタリーを制作。ドラマのプロデュースも行ってきた。2023年に退社し、現在は桜美林大学芸術文化学群ビジュアルアーツ専修教授。「ドキュメンタリー論」、「映像デザイン論」などを担当、。映像を通じてさまざまな情報発信をする会社35produceを設立している。
著書に『弱者の勝利学 不利な条件を強みに変える〝テレ東流〟逆転発想の秘密』、『秘境に学ぶ幸せのかたち』、『混沌時代の新・テレビ論』など。
テレビ東京には、しんがりの弱小テレビ局だからこその熱気があったが、そのテレ東もしだいに自由な雰囲気と活気を失いつつあるという。アナウンサーだけでなく、有意の才能の人材流出が止まらない。その背景として、田淵さんはテレビ企業の「ホールディングス制」への移行とアマゾンやネットフリックスなどのアメリカ配信メディアの登場を上げた。すでに「テレビ局=番組を作る会社」という考え方は、過去のものなのである。(以下、田淵さんの話。()内はメンバーの質問や発言)
◇
大学は法学部で、弁護士志望でしたが、あるゼミで少年犯罪にテレビドラマが与える影響について研究したことがあります。テレビ朝日にいたゼミの先輩に、2時間ものサスペンスが流行っている現象について話を聞きに行ったのがきっかけで映像メディアへの関心が生じ、テレビ東京に行くことにしました。1986年のことです。
テレビ東京は、先行のNHK、日本テレビはもとよりフジテレビ、テレビ朝日よりも10年ほど後発で、規模も小さいし、視聴率争いでも後塵を拝するという弱小企業でした。しかし弱小であるゆえに自由な空気が満ち溢れていました。
入社6年目でさらに弱小である系列の映像制作会社に移ることになった私は、弱小であることを逆手にとった「逆転の発想」で知恵を絞り、テレ東でもあまり取り組む人がいなかった秘境ドキュメンタリー、しかも「日本の源流を探る」番組づくりに取り組みました。
クルーはカメラマン、音響担当、アシスタントを含めた4人。まだカメラが踏み込んでない奥地を求めて、チベット、アマゾン、アフリカなど、20年間ひたすら旅をし、訪れた国は100カ国以上になります。最初にチベットに行ったときは高山病から風邪を併発、幽体離脱に似た経験もしました。害虫対策も大変でした。現地では、話を聞かせていただくという謙虚な気持ちを忘れず、あせらず、じっくり観察して、日常の中の非日常を探るようにしました。地域に溶け込むためにまず子どもと仲良くなろうと、おはじき、ビー玉などのおもちゃを持参し、日本食は禁止し現地の人と同じものを食べるなどの工夫も凝らしました。その後、ドラマのプロデューサーもしましたし、若いころはジャニーズも担当するなど多くの経験をしました。
テレビを変えた出来事の1つが「ホールディングス」制、もう1つが海外配信メディアの登場でした。
2007年に放送電波が従来のアナログからデジタルに切り替わります。その機器変更などでテレビ会社は多大な出費を強いられ、とくに地方局は財政的に厳しい状況に追い込まれました。そこで、従来からの「マスメディア集中排除の原則」が緩和され、テレビ局にもホールディングス制が導入されるようになりました。これを機に持株会社(親会社)は傘下の事業会社の株式を保有してグループ全体の戦略策定・管理を行い、各テレビ局は放送事業に専念する体勢になりました。背景には当時大きな話題になったテレビ局買収(孫正義+マードック陣営のテレビ朝日、堀江貴文氏によるフジテレビ、三木谷浩史氏のTBS)という動きに対処するねらいもありました。
この縦系列のホールディングス制導入によって、テレビ局ではマネタリング=金儲けが強調されるようになります。この制度については、フジテレビ事件でフジメディアホールディングスの名前がよく出てきたのでご存知の方も多いと思います。
また2015年には、アメリカの動画配信大手、ネットフリックスやアマゾン・プライム、フル(Hulu)などの配信メディアが日本に進出してきて「黒船」再来と騒がれました。これに対抗して、日本でも各テレビ局が共同でTVerを始めています。
従来、テレビ産業は映像番組を制作し、それを電波で家庭に届けていたわけですが、電波とともにケーブルによる配信も盛んになります。テレビ局は当初は配信メディアをライバル視していましたが、そのうち積極的に配信に番組を流してそこで利益を上げるという方向に流れていきます。配信企業も映像作品を自作するようにもなります。テレビでは視聴率争いが熾烈でしたが、今では地上波送時の視聴率だけでなく、配信先での視聴状況も考慮されるようになりました。そうなると、配信先で人びとが飛びつきやすいようにより過激なタイトルや内容が好まれるというふうに作品自体も変化していきます。
2019年にテレビの広告費がインターネットに抜かれるという、業界で言う「屈辱」的な出来事も重なりました。そんなこんなでテレビ局では金儲け主義が一層はびこり、本来の「文化産業としてのテレビ局」の面影は変質していきました。
テレビの遺産をどう引き継いでいくか
(ネットで人気のある番組のほとんどがテレビ会社の制作であり、またニュース記事の多くは新聞由来です。新聞もだけれど、テレビの役割は何かをもう1回見直さないといけないと思います。NHKの「ダーウィンが来た!」のようなしっかりした番組はユーチューブではできないですね)、(映像番組を制作する人を、これからだれがどう育てていけるのでしょうか)
いまテレビ局はほとんど小さな制作会社におんぶにだっこ状態で、著作権なども複雑になっています。局に金は入るが制作会社にはいかないということもある。制作会社がフジの番組を作りたくないということになる可能性もありますね。
テレビ局の人材に関しては、こういう経験をしました。若いAD(アシスタント・ディレクター)に調べものを頼むと、やけに早く提出するので事情を聞くと、「ウイキペディアで調べた」と言う。関係者に話を聞くなどして調べなおすように頼むと、今度はなかなか結果が出てこない。「ちょっと時間がかかります」と。Q&Aサイトで聞いているらしい。こういうことを厳しく叱責すると、パワハラで非難されかねない。会社に入ってから学んでいるようでは、放送事故を起こす恐れもあります。リテラシー、要は基本を教えられるのは大学の場ではないか。そういうことも教職に転じた理由ですね。
(漫画『セクシー田中さん』の作者が自作のテレビドラマ(日テレ)が「原作者の意図と異なる脚本になっている」とテレビ局に訴えている過程で自殺するという傷ましい事件がありました。結局はすべてを取り仕切るプロデューサーの未熟のように思いますが‣‣‣)
報告書を見ても、結局はコミュニケーション不足ですね。意思疎通がもう少しとれていればよかった。全体を見ているのがプロデューサーの役割プだから、プロデューサーの力量不足と言えなくもないですね。フジテレビ問題も上層部はどこを見ているのか。おもしろいものというのは、視聴者が喜ぶものをつくろうとするわけだけれど、いまは誰のためにつくっているのか、スポンサーのためなのか。いまこそテレビ本来の「放送文化」としての役割を考えなおすべきだと思います。
(フジテレビ事件は何が一番問題だと考えますか)
テレビは隠蔽性が高いメディアですね。隠蔽体質と横並び。ほかの局が報道しないのにウチでやることないんじゃないのという。悪いものは悪いというべきだけれど、フジテレビも「隠蔽」体質と言えるのではないでしょうか。メディアは開かれているように見えるが、意外に封建的。フジテレビの場合、一人の人間が天皇のように君臨していた。事件が起こったときに隠そうとせずきちんと対処していたらここまでひどいことにはならなかったと思います。同じようなことは他局でも起こります。フジの広告費がウチに回ってきたと喜んでいる人がいるけれど、テレビ局全体の問題だということを認識していないと感じます。また日本のテレビ局はタレントに頼りすぎ。ドラマの企画でも主演はだれかが優先される状況で、編成局の質も落ちているから、おもしろい企画が生まれません。これは由々しき問題で、今後、放送業界が解決してゆかなければならないことだと思います。
(テレ東と日本経済新聞の関係は?)
テレビ業界は、朝日新聞とテレ朝、読売新聞と日テレ、毎日新聞とTBS、産経新聞とフジというようにクロスオーナーシップを組んでいますが、個々のケースで新聞社の影響力には差があります。テレ東は東京12チャンネルができた時に財政難で日経が親会社になりました。それ以来、社長は日経から天下りで、テレ東のプロパーはこれまで一度も社長になっていません。
(NHKドキュメンタリ―「シルクロード」が印象に残っているけれど、今は若い人でテレビを見ない人も増えている。これからどの層に焦点を当てて番組を企画するのですか。テレビできちんと見ようとする人と、配信で見ようという人とは見方が違うように思うが、それをどう両立させますか)
クリエイターとして両方をかなえらるものをつくるのは難しい。放送はだめだけれど配信では良かった例もあります。TVerがけっこう見られていて、1週間以内に見られた回数。そこで評価を受ける場合もありますね。
(テレビ輝け!ネットワークに入っています。テレビ局がいくら首をすげ替えても免許制が崩れない限り、事態はあまり変わらない気がします)
放送局には免許を「いただいている」という感覚がありますね。菅義偉総務大臣のときいろいろ圧力がありました。根拠のないことでも折に触れて言われると、それに影響されるということがありますね。
<薄くなった「放送文化」という意識>かつてのテレビ人には、番組づくりに当たって、「赤字を出してでも、局の可能性を引き出し、強いメッセージを放つためにこれをやるべきだ」という矜持があったし、1つひとつの番組ではなく、タイムテーブル全体で収益を上げればいいというおおらかさもありました。「放送文化のために頑張る」という意識ですね。これが昨今は希薄になってきました。
また日本は電波のオークション制(行政府から独立した放送通信規制機関が放送免許を出す)を導入していない例外的な国であり、「ガラパゴス・ルール」とも椰楡されています。電波が国の免許制だから、折に触れて政権側から「免許停止」の脅しを受けています。アメリカのFCC(連邦通信委員会)をモデルに、台湾では2006年にNCC(国家通信放送委員会)を設置、韓国においても2008年にKCC(韓国放送通信委員会)が設けられているんですね。日本も改善すべきだという世論が高まるといいと思います。
◇
前半の話には、おもしろい映像作品をつくろうと切磋琢磨していたテレビ全盛時代の幸せな空気が反映されている。フジテレビはかつて大学生の就職希望ランキングで全企業を含めて1位をとったが、後発のテレビ東京は2021年春に大学・大学院を卒業予定の就職希望ランキング調査でNHKや他局を押しのけて業界1位になったという(『弱者の勝利学 〝テレ東流〟逆転発想の秘密』)。
たしかに、比較的最近の番組を見ても、『開運!なんでも鑑定団』、『ガイアの夜明け』、『美の巨人たち』、『YOUは何しに日本へ』、『家ついて行ってイイですか』など視聴者参加のユニークな番組が多い。『弱者の勝利学』には田淵さん自身の創意工夫はもとよりテレ東全体の意欲的試みが具体的に描かれていてたいへん興味深い。また最近の『混沌時代の新・テレビ論』には、現代のテレビが置かれた状況がよく描かれている。
総メディア社会とジャーナリズム デジタル技術であるインターネットが出現するまでは、メディアとはすなわち新聞、テレビ、出版と言った既存マスメディアを指していた。新聞は文字(や写真)を印刷した紙を戸別配達で全国に配るものであり、テレビは完成させた映像を電波で各家庭に配信するというように、それぞれのメディアはメッセージも配達ルートも特有のシステムを持っていた。メッセージとメディアは不可分に結ばれ、情報の送り手と受け手は固定され、送り手はメッセージの内容(真偽)に責任を負っていた。
デジタル技術の登場で、メッセージとメディアは分離され、1つのメッセージがさまざまなメディアに流れるようになり、送り手と受け手の役割も相互に変わり得るものになった。メッセージは必ずしも完成品でなくてもいいし、一本一本が個別に売られるようになった。誰もが情報の送り手になれる気楽さはメッセージの質にも影響し、インターネット上では真偽取り混ぜた情報が氾濫している。真偽の判断は受け手に委ねられているわけである。家庭にテレビを持たない若い世代も出ており、彼らは多くの情報をスマホの小さな画面で見ている。
私はSNSが登場する前の2009年に『総メディア社会とジャーナリズム 新聞・出版・放送・インターネット』(知泉書館、大川出版賞受賞)という本を書き、従来のマスメディアと新手のパーソナルメディア(ネットメディア)が混在、融合する社会を「総メディア社会」と名づけた。その上で従来のメディアの歴史を振り返りつつ、今後の進展を探ったものだが、そのときに掲げた「総メディア社会の構図」は上図の通りで、登場するメディア群は様変わりしているが、基本構図は変わらないと言っていい。総メディア社会のジャーナリズムの可能性を改めて考えようというのが本<ジャーナリズムを探して>のテーマである(Y)。
講座<若者に学ぶグローバル人生>
◎第84回(2025.3.27)
古海正子さん【「もっと知ってほしい日本のこと、もっと知りたいアジアの国々」。アジアの若い仲間の支援を続けて20余年。あなたも「アジ風」に参加してみませんか】
アジアに「新しい風」が吹いてからすでに20余年。創立者の上高子さん(写真)は、日本航空勤務のあと、よりやりがいのある仕事を求めて40代半ばで早期退職、日本語教師へと転進したが、そこで焦点を欧米よりもアジアに定め、アジアの若者たちの日本語学習を支援することを思い立った。日本語教師の派遣を希望する大学の日本語学部に教師を派遣することから始めたが、Iメイト(アイメイト、I=インターネット、愛、出会い)という秀逸なシステムに乗って、その草の根的交流はアジア諸国と日本のきずなを深めることに大きな貢献してきた。NPO法人「アジアの新しい風」設立は2003年、現在その理事をつとめる古海正子さんに、コロナ禍以後も「新しい風」を吹かせたいと頑張っている同法人の活動について聞いた。
なお<若者に学ぶグローバル人生>では、これまでアジア、アフリカなどの留学生を中心に話を聞いてきたが、上さんや彼女の後任副理事長を務める創立時以来の会員、元日本語学校校長の奥山寿子さん、そして古海さんなどにも何人かの留学生を紹介していただいている。
NPO法人アジアの新しい風(略称:アジ風)は、日本語教育を通して日本についてのアジア諸国の理解を得るため、Iメイト交流を始めとした日本語学習者への支援や文化交流などの事業を行っています。同時に、アジアの国々について学び、相互理解を深めることによって、多文化共生社会の実現を目指し、アジアの平和とひいては世界の平和に貢献することを目指します(定款)。
◇
1970年4月日本IBM(株)入社、1982~1987まで全社新入社員研修を担当、1987後半から海外人事マネジャーになり、その後、国際人事及び福利厚生などを担当。日本IBMの上部組織にあたるアジアパシフィックで国際人事や秘書のマネジャーを経験した。2009年にアジ風会員となり、2012年から理事、2017年から3年間事務局長、その後現在に至るまで理事。
アジ風の現在のメンバーは190人ほど。50~70代が中心ですが、80を越えた方もいらっしゃいます。中国(清華大学)、ベトナム(貿易大学)、タイ(タマサート大学)、インドネシア(パジャジャラン大学)の日本語学科で学ぶ学生と直接、あるいはインターネットでのメール交換を通してコミュニケーションしながら、日本語学習の支援をしています。
主な活動は、Iメイト交流、アジア各国の交流校訪問、交流会や著名人の講演会開催、留学生支援、日本での就職支援などと幅広いです。奨学金制度も設けています。
Iメイト(アイメイト)は日本語学習者(学生)と会員がEメールを通じて1対1で交流するシステムです。彼ら、あるいは彼女たちが日本に留学するようになると、Iメイトがマンツーマンで観光案内したり、自宅に招いたりして、より交流を深めています。彼らは日本についてけっこう勉強しているので、質問に答えられなくて改めて調べたりもするので、勉強にもなりますが、それよりも子どもや孫ぐらいの若い人たちと、年を離れた友だちのようになれること自体、たいへん楽しいですね。
交流校は先に上げた4校で、韓国、フィリピンなどが含まれていませんが、もともと日本語学部に日本語教師を派遣することから始まっており、とくに韓国からは「必要ない」と断られた経緯があります(^o^)。
年に1~2回、Iメイトたちが現地を訪れ、交流校訪問をしています。いずれも現地の一流大学で、清華大学、タマサート大学ともに広大なキャンパスなのには驚きます。
現在のIメイト参加者は70人強、学生の方は200人くらいいるので、1人の会員で複数の方と交流していることになります。現地での交流会では学生たちの自宅に招かれることもあります。
交流会ではZoomを使った遠隔参加もあり、新春交流会では150人ぐらいが参加します。グループディスカッション、詩歌朗読コンサート、アニメのアフレココンテスト、落語講演、など多彩な行事を計画しています。年1回の総会の後は著名人をお呼びしての講演。初代理事長をお願いした林雄二郎さんの息子さんで、やはり理事長にもなっていただいた作家の林望さん、日本総合研究所の寺島実郎さん、比較文学の専門家で東大名誉教授の川本皓嗣さん、写真家の大石芳野さんなどに、日本とアジアとのかかわり、言語とナショナリズム、アジアにおける日本のサブカルチャー人気、ウクライナ情勢など、時々のトピックスにそった話を聞いています。これはたいへん勉強になりますね。
この20年は日本経済の停滞と一方でのアジアの発展という激動の時代を反映して、会の運営にも変化がありました。日本語教師の派遣は経済的な問題のほかに、先方の希望水準が高くなったなどの事情で、いまはやめています。中国は日本を上回る経済大国になりましたしね。
その間にはコロナ禍もあり、直接交流が途絶えた隙を埋めるように、Zoomを使った交流が始まりました(奥山さんに<Zoomが「アジアの新しい風」に新風>というコラムを書いていただいたこともある)。
そんな中でも、なお日本に魅力を感じてくれる人も多く、大学卒業後は日本で働きたいという学生さんもいます。これからは日本での就職支援に力を入れたいと思っています。
悩みは経済情勢よりも、アジ風に参加してくれる会員が減っていることです。最盛期には総数250人近かったメンバーが今は190人。創立当時、60歳の人はもう80過ぎですから、病気などで退会する人が出ていますが、それに代わる若い50~60代の人がそれほど増えないんですね。現役で働いている人は仕事が忙しくなかなか暇が取れないですし、最近は定年が延長になったり、定年後も働かざるを得ない人が増えてきたりもしており、社会全般にこういうボランティア活動に参加する人が減っているように思います。
それはともかく、いま、絶賛会員募集中です。アジ風のウエブに、第2の人生で落語家になった参遊亭遊助さんの「草の根~アジアの新しい風物語」というなかなか秀逸な入門落語がありますので、それをご覧になって、ぜひ応募してください。https://www.npo-asia.org/info
公的な助成金はほとんど受けていないので、活動資金はもっぱら寄付と会費(個人は入会金2千円、年会費6千円、法人は入会金1万円、年会費3万円)に頼っています。それでは、よろしく。
おあとがよろしいようで。
新講座<ジャーナリズムを探して>②
◎第83回(2025.3.6)
山田厚史さん【記者が紙の新聞からインターネットへと活動の舞台を移す時、デモクラシータイムスがその「踏み台」になってくれればいいと思っています】
山田厚史さんの朝日新聞記者としての活躍、CS番組「ニュースター」での映像メディアへの挑戦、さらにインターネットに転じたユーチューブ番組「デモクラシータイムス」設立に至る経過と実際などの話を聞きながら、「懐かしい歌が聞こえてくる」感慨にとらわれた。
それは朝日新聞がジャーナリズムの雄としてまだ羽振りもよく、社会的にも信頼されていた時代の郷愁のせいか、山田さんの穏やかな語り口のせいか。当方もまた新聞出身であるためか。いや、それはインターネット初期の喧噪の中で、ネットというメディアプラットホーム上で新しいジャーナリズムのあり方を模索した人びとの興奮と歓喜、試行錯誤にともなう熱気のせいに違いない。デモクラシータイムスは「ネットジャーナリズム黎明期に咲いた幸せの花」ではないだろうか。
その種子が新しい実を結んでいるのも確かである。ネットジャーナリズムの歴史を振り返る時がくれば、間違いなくその存在は「懐かしく」人びとの記憶に蘇るだろう。いや、いや。その礎を立派に果たしたデモクラシータイムスのさらなる躍進をお祈りしたい。
https://www.youtube.com/@democracytimes
ジャーナリスト。元朝日新聞記者。経済部で大蔵省、外務省、自動車業界、金融業界などを担当。ロンドン特派員、編集委員、バンコク特派員などを歴任。2017年にデモクラシータイムスを立ち上げ「山田厚史の週ナカ生ニュース」で情報発信を続けている。2017年衆院選挙で立憲民主党(千葉5区)から出馬した経験がある。著書に『銀行はどうなる』、『日本経済診断』(岩波ブックレット)、『日本再敗北』(文芸春秋社・田原総一朗 と共著)など。
デモクラシータイムスという現在日本有数のネットジャーナリズムの牙城は、各種の情報サイトが1カ所に軒を並べた専門店だと言っていい。メニューは、これまで配信したものを含めると100近いが、いまのメインは「山田厚史の週ナカ生ニュース」、佐高信、平野貞夫、前川喜平の「3ジジ放談」、何人かのコメンテーターがその週のニュースを解説する「ウィークエンドニュース」など。参加メンバーは田岡俊次、竹信三恵子、升味佐江子、山口二郎、池田香代子、横田一、白井聡、高瀬毅、雨宮処凛、金子勝各氏など、ジャーナリスト、学者、評論家、小説家などさまざまで、それぞれが独自の情報を発信している。ほかに荻原博子、辛淑玉、マライ・メントラインさんなど女性がけっこう多いのも特徴である(写真は2025年正月の「週ナカ生ニュース」の山田さんと升味さん)。
ウエブには<デモクラシータイムスは、「日本で一番わかりやすいニュース解説」を目指しています。2017年3月、今の世の中はこれでいいのか、政治も社会もおかしくないか、息苦しい時代に自由な発信の場を作りたいと9人で始めたyoutubeチャンネルが、視聴者のみなさんの寄付に支えられて毎日配信するようになり、2021年には10万人を突破しました。一人一人の方の寄付が育ててくださった放送局です」とある。
https://www.youtube.com/@democracytimes
2025年現在、視聴者は23万人に上る。このデモクラシータイムスはいかにして誕生したかを山田さんに聞いた。(以下、山田さんの話。()内はメンバーの質問や発言)
◇
朝日新聞入社は1971年、青森支局が振り出しで、その5年間で記者としての一通りのことを学びました。その後、経済部、外報部と記者生活を送り、定年後に朝日新聞グループが多メディア化の波に乗って開設した「朝日ニュースター」で経済問題を担当、ここでキャスターの勉強をしました。運営をめぐって朝日新聞からテレビ朝日に移ったり、メインキャスターの愛川欽也さんのポケットマネーで運営したりと紆余曲折の末、仲間で独立して活動した方がいいと考えて、9人の記者でデモクラTVをつくり、社長になりました。折からインターネット上のユーチューブというシステムを利用すると、大きなカメラを何台も用意することもないし、スタッフもディレクターとスピーカーの2人、小型カメラだけでで大丈夫と聞いて、「ほんまかいな」と疑心暗鬼ながら、山田、田岡、早野透(故人)で100万円づつ拠出して、2017年、ユーチューブのニュース提供番組、デモクラシータイムスをつくることになったわけです。
撮影は9割方スタジオでやっていますが、そのスタジオも仲間が経営しているアパートの一室と、かつての法律事務所を借りた簡便なもので、出演者はメンバーが声をかけて出てもらったり、古巣の朝日OBだったり、学者、作家、評論家など様々な人が参加してくれています。
テーマは政治、経済、憲法、原発など。新聞ではいま一つ背景がわからないことをもう少し深堀することをめざしています。録画時間も長いものは2時間以上あり、やりようはいろいろです。なるべく自分の意見をはっきり言うようにしています。論者によって考えは違うが、気心の知れた仲間ばかりでもあり、基本的な考え方には自ずからの合意があります。「ほんとうのところはこうなんだよ」ということを新聞紙面より突っ込んで言う感じで、見ていただく方が「これでいい」と思うならどうぞ見てください、というスタンスです。
合議で何かを決めるということはなく、それぞれが自分の信念でやりたいことをやっています。ユーチューバーのスタジオ版というイメージですかね。
ほとんどボランティア出演で、フリージャナリストのように生計がかかっている人には少し配慮しますが、あとは交通費程度の支給です。意気に感じるとか、新たな情報発信に挑戦するとか、思いは様々ですが、基本的に出演者の好意で成り立っています。古巣の朝日新聞との関連で言えば、現役記者の海外特派員などにも現地報告してもらったりしています。紙のメディアからインターネットへ舞台を移してジャーナリスト活動を続けたいという人はけっこういます。
最初は読者5000人くらいで始めましたが、年々増えて、現在登録してくれている読者が23万人以上います。その方々のカンパが年に約2000万円、それに広告も含めてユーチューブから入ってくる収入が約1000万円。合計3000万円の範囲内で運営しており、出来ないことはやりませんから、赤字ということはありません。CS放送のころから「ユーザーがいる限り辞められないね」と言って続けてきたので、読者に飽きられて、読まれなくなればやめればいいと思っています。しかし、ありがたいことに、年々読者は増えています。もう少し収益のあるものをやりませんかというお誘いもありますが、これを受け入れてしまうと、そちらに流されることにもなり、朝日新聞でがんばってきたことの意味がなくなりますね。
ネットジャーナリズムの安定的な基盤、どういうビジネスモデルをつくれるか、はまだ試行錯誤の段階です。明確な方針などないまま、時のメディア動向に流されながら、ここに行き着いたというわけで、なお「漂流中」です。かつての朝日新聞のような優雅なやり方はもはやあり得ない。貧乏暮らしを覚悟するか、それとも年金などの片手間か。幸い私たちは朝日新聞でおいしい時代を過ごしてこられたので、その余力でもって、次の時代のこやしになれればと思っています(^o^)。
若い人がどんどん加わってほしいですね
(1人ひとりが放送局になるというネットメディアのイメージから見ると、デモクラシータイムスは過渡期の形態とも言えるようですね)
いまネットで活躍している鮫島浩氏や尾形聡彦氏なども一時、ここで活動していたことがあります。新聞、出版、放送からインターネットへと、今後のジャーナリズムの活動は舞台を移していくと思いますが、新聞社から出てネットへ移っていくための踏み台にしていただけるといいと思っています。
初期のメンバーも含めて年長者が多いので、これからは若い人がどんどん加わってほしいですね。朝日新聞を出て会員制の『Tansa』を始めている渡辺周君など優秀な人材が育っているので、大いに期待しています。
(最近のフジテレビ事件の2回目の記者会見はフリージャナリストなど400人が参加、時間も10時間半に及びました。これは記者クラブのあり方も含めて、いろんな問題を提起しましたが‣‣‣)、(記者に対する迫害、圧力に対して組織として守る、弁護士会のようなものがほしいとも思います)
だれでもジャーナリストを名乗ることはできるけれど、新聞社や放送局が指定するのではない、フリージャーナリストをどう育てるかも問題になってきますね。記者会見にしても、記者側が主導権をとるためには、それなりの資格と素養を持っている人に何らかの「記者章」を発行するような組織が必要になると思います。公権力とは独立した公的な組織ですね。
(インターネット上の情報はプラットホームによって〝検閲〟されますね。たとえばコロナワクチン問題の危険性を警告していた原口一博衆院議員など、自分のユーチューブが何度もBANされた=停止・削除を命じられた=と言っています)
デモクラシータイムスでも、「もう1回やったら広告を切ります」といったメッセージがユーチューブ(グーグル)から来ます。しかし、なぜ問題だとしているのか、その理由が開示されない。仕様書などがあるのであれば、対策も取れますが、まるで自主規制を迫るような感じです。ユーチューブは一大メディア・プラットホームに成長し、大きなポテンシャルを持っています。最初は機械(アルゴリズム)で検閲しており、文句を言うと、担当者(人間)が出てくる。これは大問題でもあり、こちらとしても、どんなものがチェックされたのかのリストをつくる作業をしないといけないと思っているところです。
(紙の新聞はここ10年で半減しました。あと5年から10年もすると、読売新聞以外は100万部を切るという予想もあります。紙の新聞が生き残る可能性はありますか。もっとネットに向かって舵を切るのは?)、(古巣の朝日新聞に対して思うことは?)
マスメディア企業はいま守りに入っていますが、圧倒的人材は今でもそこにあります。新聞社を止める人はリスク取っているわけで、そこまで決断できなくても、有意な人は内部でも頑張ってもらいたいと思います。
朝日の人に出演をお願いするときの敷居がどんどん高くなっています。昔は上司の印鑑だけでよかったのが、いまでは広報を通せ、文書を出せと、社外活動を促進するよりも拘束する方向に言っているようですが、逆に社外に広く門戸を開くことが、記者のためにも会社のためにもなると思いますね。優秀な人材を社内に閉じ込めるんではなく、他の媒体にもむしろ積極的に出してやると、記者の能力も高まるのではないでしょうか。記者根性のある人が働ける場所を与えていく必要がある。紙だけがメディアではありません。
結局は、メディアはデジタルに向かうしかない。新聞が百年かけて作った「みんながたっぷりご飯を食べられるおいしい」モデルはもう無理ですが‣‣‣。
<私にとってのジャーナリズム>朝日新聞時代に3度も名誉棄損訴訟を起こされました。最初は青森支局で学園紛争取材に絡んで理事長から、次は大蔵省批判で国税庁長官から、最後は粉飾決算がバレた証券会社の内幕をテレビで語って安倍晋三首相から。いずれも「和解・訴訟取り下げ」で決着しています。社内で「凶状持ち」と言われたりもしましたが(^o^)、当時の朝日新聞には外部の圧力から正論を守る、記者を守る気概があったように思います。
記者を続けるためには、強いものを敵に回す覚悟が必要です。攻撃や圧力にさらされるのは当然で、私は「働いた先々に爪痕を残してくる」ことを常に考えていました。おかしいことを「おかしい」と主張し、ずるく立ち回らなければ、理解してくれる人は取材先にもいます。「敵ながらアッパレ」と思ってもらえれば、記者冥利に尽きるというべきですね。(この項、3.22追記)
◇
山田さんは何度もデモクラシータイムスは新聞からインターネットへと記者が移行していくための「踏み台」になれればいいと話した。スピンアウト、核分裂という言葉もあった。デモクラシータイムスは十分にネットジャーナリズムの「揺籃」の役割を果たしていると思われる。当日のメンバーから「回りの年長者もどんどん新聞購読を止めている。と言ってユーチューブを見ている人も少ない。インターネットにはいろんな情報があふれているが、いま何を見るのがいいのかがわからない」、「みんな電車の中で前を向いてスマホを見ているが、そのときにきちんとした情報が提供されているといいと思う」という声があった。デモクラシータイムスはネットジャーナリズムの入り口としては格好のサイトでもあるだろう。
パッケージメディアとしての新聞 かつてジャーナリズムの雄を自認し、それなりの役割を果たしてきた新聞は、さまざまな情報を「パッケージ」として売るメディアだった。政治、経済、社会といった報道面だけでなく、ラテ欄も、四コマ漫画も、スポーツ面も、映画・演劇・美術などの娯楽面もすべてが「新聞」紙としてパッケージされているところが特徴であり、強みでもあった。言ってみれば、ラテ欄があるから買ってくれる人の購読料をニュース(調査報道などのジャーナリズム)の取材活動に回すことが可能だった。高い広告料も戸別配達による大部数のもとに成り立っていたと言っていいだろう。
ところがインターネット上の情報は原則としてばら売りで、ラテ欄はもちろん、漫画・アニメも、スポーツも、映画評も、すべてが個別に提供される。そのとき、いわば「むき出しになった」調査報道をはじめとする報道、ジャーナリズムに誰が対価を払うか、というのがネットジャーナリズムのアキレス腱である。朝日新聞がインターネット黎明期に立ち上げたasahi.comは、ただ新聞紙面を模倣し、そのモデルを踏襲し、言って見れば紙の新聞の付録扱いで、しかもその付録が本体の紙の価値を軽減する結果をもたらした。この辺はメディア業界で独自に工夫すべきジャーナリズム仕様(アルゴリズム)をシリコンバレーに丸投げした米メディアも似たり寄ったりで、だからこそ、これからの生き残りにはジャーネットナリズム・プラットホームの工夫が必須と言っていい。
デモクラシータイムスの寄金(カンパ)に頼るスタイルは、他の同種サイトでも見られるが、これはどちらかというと、内容がそれぞれに特化され、購読料(書籍代)のみで成り立っている出版モデルに近いと言えるだろう(出版の可能性についてはまた取り上げるつもりである)。
インターネットという誰もが情報発信できる時代にかえって「表現の自由」、「報道の自由」の理念が形骸化しているのも、現下のジャーナリズム衰退の大きな要因である。私たち一人ひとりがあらためてIT社会に生きること、そこでのジャーナリズムの意味を考え直し、支援の輪がより広がれば、デモクラシータイムスはIT社会におけるジャーナリズムの「大輪」になれるかもしれない(Y)。
講座<若者に学ぶグローバル人生>
◎第82回(2025.2.22)
髙橋麻里奈さん【JICAでラオスに派遣され、ちぐはぐな開発援助の矛盾に悩みながらも、元気に理科教育普及に励んでいます】
今回は久しぶりの<若者に学ぶグローバル人生>で、海外青年協力隊(JICA)の一員としてラオスに駐在、現地の理科教育普及や教員養成に励んでいる高橋麻里奈さんの話を聞いた。
寒波と大雪に四苦八苦している日本とは真逆でラオスはいま夏、しかも乾季。連日30度を超す猛暑だとか。現地ラオスからのご登壇だったが、たまたま当日は、高橋さんをご紹介くださった学芸大学教授の岩田康之さんが長期滞在先の香港から、そして海外青年協力隊の先輩でもあり、現在フィリピンで起業しているメンバーの鮎川優さんがフィリピンから参加、13人の参加者中3人が海外からと、なかなかのグローバル模様になった。
本塾をOnline塾DOORSと改名した時、<国境を越え、世代を越えたコミュニケーション塾>にしたいという抱負を述べたが、「世代」的には、メンバーの高橋由紀子さん主宰の教室から高校1年の女生徒も参加して、かれんな花を添えてくれた。
高橋さんは東京学芸大学在学中に休学し、フィリピン留学とボランティア、ついでフィンランドの小学校での短期教育実習、その間、ユーラシア大陸を回り、大学卒業後は東京学芸大学附属世田谷小学校などに4年間勤務、理科実験カリキュラムづくりや異年齢学級などを担当した。その後、カナダのモントリオールでの短期留学とアメリカ南北大陸を歴訪して、帰国したと思ったら、昨年は海外青年協力隊に参加、今はラオスに駐在、というまさに「世界を駆ける」行動派教師である。専攻は理科教育。趣味は旅行で、すでに31カ国を訪問している。現地の人びとと協力しながら、経済や社会の発展に貢献するというのが願いだとか。その自由で軽快な行動スタイルが、若いエネルギーを感じさせる。
JICAには教養試験、語学試験、健康状態などをクリアした新卒、シニアがそれぞれ1~.2割ほど、残りは退職した20代後半〜40代の人びとが参加しており、福島県二本松訓練所には200人ぐらいいた。そのうち高橋さんら11名がラオスへ。その半数は助産師、看護師などの医療系、残りは水質検査、農業開発、スポーツ関連、教育など。
ラオスは、ベトナム、カンボジアなどとともにインドシナ半島を構成するASEAN諸国だが、他の国に比べると影が薄い。日本の本州ぐらいの国土に人口約700万人。1平方キロメートルの人口密度はたった24人(ベトナムは256人、タイは132人、日本は340人)。中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれた内陸国で、かつてはタイの領土だった。共産主義国で宗教は上座仏教。中国やタイとの関係が深い。2021年にはラオス中国鉄道が開業した。入国直後は首都ビエンチャンでラオス語の訓練などを行い、いまは南のサラワン県(地図で丸で囲ったところ)に赴任、大きな平家に1人、多くのヤモリと生活している。
若者たちはタイの音楽や文化に慣れ親しんでおり、街には意外に韓国人が多いと言う。岩田先生によると、ラオス語はタイ語の方言みたいなものらしい。意外でもあり、なるほどそういう時代かとも合点したのは、スマホの保持率はかなり高く、小学生も持っているとか。買い物や光熱費などもスマホを使ったキャッシュレス決済で、みんなの憧れはアップルのスマートフォンiPhone。テレビは驚くほどなく、観ている様子もあまりない。
いろんなスライドを見せてもらったが、決して豊かとは言えない田舎が広がっているような光景で(主産業は農業)、まさに発展途上の国である。彼女も「ラオスは牧歌的で、シンプルで、びっくりしました。言い方が悪いけれども、特徴がない」という印象を受けたようだ。
彼女はそこで小中高校生や教師を相手に理科教育について教えている。ほしい機材がないかと思うと、同じ機材が山のようにあったり、立派な実験教室があるのに理科教師がいないために放置されていたり、新校舎が建ったために、まだ立派な木造校舎が廃校になったり、開発援助の矛盾に悩まされながら、専門の理科教育について、持ち前の明るさを忘れず、大いに奮闘しているようだった(写真は上から右周りに「首都ビエンチャンの街角」、「授業風景」、「理科実験」、「廃校になった旧校舎」、「日本の援助で出来たが、まだ使われていない理科実験室」)。
なぜラオスを選んだのか、との質問に対しては、「小学校5年生の時、塾の先生が『カンボジアに学校を建てたい』と言っていたのを、子どもながらに『これはすごい』と思って、自分も何かできることがあるのではないかと、教員として海外協力したいという夢を持つようになった」と話してくれた。
ラオスには2年いて、帰国後は日本でも理科教育にたずさわろうと考えていたが、開発援助の実態を見るにつけて、それらをよりスムーズに運べるような事業に取り組もうかとも思い、今は悩んでいるという。
海外から日本はどう見えますかとの質問の答えは、「海外に長く出ていると、だんだん日本の良さが身にしみる」とのことだった。日本は「人びとが暗黙に守っているルールで社会が成り立っている」という感慨で、私たちの信条にふれたものだったが、その日本は数十年における政治の混乱、経済の停滞、何もかもを金に換えて利潤を追求する新自由主義の猛威を受けて、その良さが急速に失われつつある。彼女が日本に戻って来た時「浦島太郎」にならないように、「日本をちゃんと守っていないといけないですね」という声も聞かれた。
新講座<ジャーナリズムを探して>①
◎第81回(2025.1.20)
佐藤章さん【組織ジャーナリストであろうと、フリージャーナリストであろうと、大事なのは記者の「志」。いまのマスメディア関係者にはそれが薄くなっている気がします】
ジャーナリスト、元朝日新聞記者。東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部、月刊 Journalism 編集部などを歴任。退職後、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。著書に『日本を壊した政治家たち』(五月書房新社)、『コロナ日本国書』(五月書房新社)、『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)など。
<新講座発足にあたって>政治の混迷、マスメディアの崩壊、SNSなどインターネット上の情報発信の爆発的増加など、昨今の社会の激動は、情報端末としてのスマートフォンやSNSなどインターネットメディアの普及といった、私たちを取り巻くメディア環境の変化と大きく関係しています。新しい情報の流れの中で、従来のマスメディアが曲がりなりにも担ってきた社会の民主主義的土台を支える機能、ジャーナリズムという営為はずいぶん陰の薄いものにもなっています。
テレビが普及し始めた20世紀半ば、カナダのメディア研究家、マーシャル・マクルーハンが放った「メディアはメッセージである」という警句が今更のように生々しく蘇りますが、インターネットが爛熟期にある21世紀において、社会のジャーナリズム機能は衰退していいとは、とても思えません。イシエル・デ・ソラ・プールが20世紀後半に『自由のためのテクノロジー』で書いた「21世紀の自由社会では、数世紀にもわたる闘いの末に印刷の分野で確立された自由という条件の下でエレクトロニック・コミュニケーションが行なわれるようになるのか、それとも、新しいテクノロジーにまつわる混乱の中で、この偉大な成果が失われることとなるのか、それを決定する責任はわれわれの双肩にかかっている」という言葉がいよいよ切実に感じられます。
だとすれば、IT社会全体におけるジャーナリズム機能をどこが、そして誰が担うべきなのか、そういう問題意識のもとにスタートしたのがこの企画で、トップランナーを朝日新聞OBでいまはユーチューブ番組「一月万冊」を舞台に活躍している佐藤章さんにお願いしました。
本シリーズでは、以下の3つを柱にして、様々なメディア関係者にご登場いただき、個別具体的なお話を聞きながら、メンバーとの質疑応答を通して、ジャーナリズムのあり方を考えていきたいと思っています。話していただく順序はアトランダムです。
・朝日新聞OBに聞く。「朝日新聞はどうすればいいのか」&「ネットジャーナリズムでの挑戦」&「新聞とネットの違い」。
・ネットでの情報発信を実践しているパイオニアに聞く。「ネットメディアでの新たな試み」&「テレビからユーチューブへ」&「IT社会におけるジャーナリズムの可能性」。
・メディア研究者などに聞く。「私のジャーナリズムへの期待」。
シリーズ後半には既存マスメディアで活躍してきたOBたちに、歴史的総括として「私たちはこう考えてきた」&「どこで間違えたのか」についてもお聞きできればと思っています。
このシリーズの趣旨は末尾にJPEGファイルとして掲載した「趣意書」をご覧ください。
◇
佐藤章さんの現在の主な舞台はユーチューブ上の「一月万冊」です。
「一月万冊」は約10年ほど前に読書好きのベンチャー起業家、清水有高氏が開設したもので、今は佐藤章、本間龍(作家)、安冨歩(元東大教授)の各氏がここを舞台に自らの情報を発信しています。
佐藤さんは朝日新聞在社中から慶應義塾大学でメディア論の教鞭をとってきましたが、退職後に知り合いから一月万冊を紹介され、システム操作や番組の作り方をスタッフの人に教えてもらいながら、情報発信するようになりました。
現在は週に5回ほど、1時間内外の番組を配信しています。古くは安倍元首相襲撃事件、石丸伸二候補が旋風を巻き起こした昨年の都知事選を始めとする各種選挙報道、最近ではフジテレビの屋台骨を揺るがすまでになったタレント、中居正広スキャンダルなど折々のニュースを取り上げてきました。私たち庶民の怒りや批判を代弁しながら、事件の背景やその本質を丁寧に解きほぐす語り口は、多くのユーザーに好感をもって受け取られているようです。ここに一つのジャーナリズム実践があるのは間違いないでしょう。
当日は、①「一月万冊」について、やってみての感想、視聴者の反応、新聞との違いは、②古巣の朝日新聞について、③ネットジャーナリズムの可能性、などについて話を聞きました。折々にメンバーが質問を投げかけ、それに佐藤さんが丁寧に答えるという感じで議論は進みましたが、佐藤さんの誠実な対応が印象的でした。
その一部を以下に紹介します。()内はメンバーの質問や発言。このシリーズは、討議の内容を詳説したサイバー燈台叢書として後に公刊する予定です。
◇
最初のころは紙で新聞原稿を書き、大学では黒板を使って教壇から話し、ワープロ・パソコンによる記事出稿、そしてユーチューブ番組でのしゃべりと、情報発信のやり方はいろいろ変わったけれど、変わらないものは「志」だと思っています。
番組は事前収録です。視聴者の反応としては、わかりやすいという声が多く、僕としてもここを大事にしたいと思っています。理解してもらわなければしょうがないですからね。視聴者は少ない時は4万人ぐらいですが、最低でも4万人はほしいですね。多かったのは安倍逮捕の時で、突然ポーンと数十万人に上りました。番組内容については、毎回予告するようにしていますし、僕自身もツイッターやフェイスブックで㏚しています。
(4万人というのは、月刊誌に比べるとすごいですねえ)
街を歩くと声をかけられるので(^o^)、見られているなと思いますね。ここが新聞雑誌や書籍とは違うところですか。
朝日新聞の精神はあまり変わっていないと思っていますが、ウエブの作り方にもう少し工夫があるといいですね。ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなど成功したウエブでは、新聞の体裁をとりながら、ある文字をクリックすると詳報がずらっと見えますね。
もっとも英語の力が強い。日本の場合は日本語の壁がありますね。それについて僕は朝日新聞中国語版を作ることを提案しているのだが、乗ってきませんねえ(^o^)。中国人は日本に関心を持っているし、なにせ人口が多く、読者数が違います。中国とは仲良くやるべきですよ。
記者のころから、日本を少しでもよくしたい、できるだけ正しいことを伝えたい、できれば特ダネを取りたいという思いでやってきましたが、それは今も変わらないですね。いまは組織的支援がなく、孤軍奮闘だけれど、結局、特ダネは深く付き合っている人から取れるものです。
(『外岡秀俊という新聞記者がいた』という朝日新聞記者に関する本を興味深く読みましたが、彼は特ダネというのは「記者が書かなければ永遠に闇に葬られるような事実を発掘することだ」と言っていますね)
その特ダネに関する意見にはまったく異論はありません。ただ私は経済部が長かったので、たとえば日本銀行、財務省など大きな役所が発表することで社会に与える影響が大きいものもありますね。それを役所側から抜くというのも重要な特ダネと思っています。発表ものというのではなく、ね。記者として幸せだったと思うのは、経済部として役所中心に取材した後、後半は『アエラ』という雑誌で自由な取材が出来たことです。
組織ジャーナリストは組織内で忖度しなければならないが、フリージャーナリストには何事にも縛られないという利点もあります。朝日新聞時代には内部からすごい圧力がありました。銀行の不良債権の実態をめぐり、社では書かせてくれないので他社の月刊誌で書いたら、当時のH経済部部長から左遷されて、7年間、第一線の取材現場から外されたこともありました。その時、あらためてジャーナリストとしての基本的な勉強をし直しました。
最近、フリージャーナリストとしていろんな記者会見の場に出ますが、記者の力が落ちたと感じます。記者会見に臨むにあたっては、周到な準備をして、いくつか質問項目を考えておいて、状況に応じてその中から適当なものを選んで質問するわけですが、いまの記者にはそういう努力を感じない。僕が現役だったころに比べると、力が落ちたと感じます。変な記者もいますね。都知事選のころ小池都知事に「側近の方もあなたはカイロ大学を卒業していないと言ってますよ」と言おうとしたら、幹事社らしいテレビ朝日の記者が「まだこちらの質問が終わっていません」と僕を遮って、何と言ったと思います?「今日は勝負に出る緑色じゃないですね」と彼女の服装に関する発言をした。準備もしていないし、なあなあで会見をやっているというのがよくわかります。
なぜ、甘い甘い記者クラブになってしまったのか。僕にも責任の一端があるんだけれども、僕が飛ばされた姿を後輩は見ている。そうなると忖度することになる。小池知事と仲良くやって、機会があったら知事から上司に自分のことを売り込んでもらおうと考える。そういう人がメディアのトップに座るようになると、いよいよそういう記者ばかりになっていく。H氏が社長になって、朝日新聞でもそういう(ひらめのような)人が偉くなって、いよいよその種の記者が増えているように思います。
(若いころには、朝日新聞以外は新聞じゃないという考え方が世間にもあった。企画の話を持って行くにしても、朝日新聞が中心だった。大学入試問題に「天声人語」がよく取り上げられたりしてましたしねえ。それがだんだん薄れてきた。特ダネも減ってきて、取材力が減じていると思われる。嘆かわしいことだが、政治家には軽い感じの記者の方がいいのかな、と思ったりもします)。
記者は常に己の刃を研いでいたものだが、いまや刃はなくなり、新聞記者がテレビの記者と同じようになってしまった。中居事件ではありませんが、ネタを取るのに女性の方が有利だというので、政治家などの取材に女性を配することもあると聞いています。
(若いころを振り返ってみると、新聞社に入ろうとする人には、社会をどういうふうにしたい、社会の問題点を明らかにしたいという気持ちが強かったように思うけれど、今の若い人たちでジャーナリストになるという姿勢に大きな変化がある。世の中をどういうふうに見るかという見方も変わってきた。何とかしないとけないのか、諦めて見ているしかないのか)。
これはどこの企業でも同じだと思うけれど、現場の教育、オンザジョブ・トレーニングが大切です。それは足で稼ぐということでもある。スマホで得られるのは二次情報。それから先は足で現場に行って、観察することが必要です。情報は人間からしか出てこない。その人たちをどういうふうに探し出すか、それは、共感力の問題です。相手も自分も同じ現場を見ているということで生まれる共感、それが大事だけれど、現場にも行かずにスマホで情報を得ているようではダメですね。
(特ダネは、言い方によっては、無駄な作業の結果であり、1日に何本原稿を書いたかというような成果主義からはなかなか生まれにくい。かつての新聞社では、偉くなっても、ならなくても、給料はあまり変わらないし、偉いからと尊敬する記者もほとんどいなかった(^o^)。今は偉くなる「うまみ」が出てきた)、(かつてパソコン使いこなしガイドブックを出そうとしていたとき、西部本社の友人が「お前は農薬雑誌を作るのか」と言った。「農薬のせいで農業はダメになった。ワープロが社員に支給されて、新聞記者はダメになった。彼らは足で取材するのをやめて、手でデータを集めている」と言うんですね。ITがもたらす弊害の一面を鋭く突いていると思いますね)
インターネットからは特ダネは出てこない。左遷されたころ、『文春』に行こうかな、と思ったことがあります。誘いもありました。システムを聞いたら、いろんなチームのチーフの下に優秀な記者が数人配されている。かつて社会部などはそういうふうにやっていたが、今や文春の一人舞台で、出席原稿出してOKという感じになってしまったように思います。
<私にとってのジャーナリズム>記者職を外されたのは2000年4月だった。前年11月に岩波書店から『ドキュメント金融破綻』を刊行し、『文藝春秋』12月号に、みずほ銀行となる旧第一勧業銀行の大規模な不良債権隠しの実態を暴く記事を書いたことで、第一勧銀頭取から朝日新聞社社長にクレームが入った。即飛ばされた先は昭和元年からの朝日新聞紙面データベースを作るチームだった。だが、日本の現代史を勉強するチャンスと捉え直し、昭和史をめぐる書物を徹底的に読み込んだおかげで、7年後に記者に復帰した後のジャーナリスト生活において大変武器になる諸知識を獲得できた。
その頃は個人的に辛く悲しい出来事も重なったが、自暴自棄にはならなかった。こういう時期には、いかにして「時をやり過ごすか」を考えた方がいい。「ジャーナリズム」は生涯の仕事であり、生涯は意外に長い。失敗に焦る必要はない。可能な限り気持ちを楽にもって戦略を立て直す。これが肝心だと思う(この項、3.24追記)。
◇
佐藤さん退出後も、本シリーズの今後の進め方などについて参加者で活発な議論が行われたが、これについては今は割愛する。ただ最後に「いろんな現象が起きた時に、やっぱり頼りにするのは、私の中では、新聞です。朝日新聞の情報が少なくなったとか、内容が少し薄くなっているな、というのは気になって、ときどき他の新聞と重ね合わせながら読んでいますが、記者の方、頑張ってください」という声があったことを付記しておく。
ユーチューブ(YouTube)というメディア オンライン動画共有サイト。本社はアメリカ。ウイキペディアによると、アクティブユーザー数は、2022年1月時点では25億6,200万人)であり、ソーシャルメディアとしてはフェイスブックに次ぎ世界第2位。2005年に設立され、翌2006年にグーグルに買収された。
スマホの機能拡大、通信回線の高速化で、テレビ画面と変らない解像度の動画をだれもが撮影し、それを簡単にアップできる。またそれを自由に閲覧できる。動画をアップし、アクセス数などで一定の基準を達成すれば、グーグルから相応の収入が得られ、動画に広告が掲載されるようになる。ユーザーが広告をクリックすると、広告料が加算される。
メディアとしてのユーチューブの特異なところは、料金を得るのは動画をアップした人だということである(ヒット曲を歌う歌手の動画がアップされて、何千万回の再生数になろうと、歌手には収入は入らない)。だから大谷翔平とか、中居正広とか注目度が高い人を撮影したり、あるいは他から画像を切り取ったりするちゃっかり動画の氾濫となる。
もっとも動画の多くは趣味の園芸だったり、料理教室やカラオケ指南だったりと、自分で動画を撮影し、自分でアップするもので、この場合は出演者個人やそのプロダクションに収入が入る。佐藤さんのような硬派番組の多くはその形をとっているが、ユーザーから活動支援の寄金を募っているサイトも多い。
ユーチューブのコンテンツは、音楽系、ゲーム実況系、マンガ・アニメ系、メイク・ファッション系、料理系、教育系、ビジネス系、アウトドア系などなど、あらゆるジャンルに及んでいる。
再生回数に応じた収益の目安は、最新のウエブ情報によれば、1再生回数ごとに0.05円〜0.2円らしい。それらは内容、時間などさまざまな要素を加味して決められ、かなりのばらつぎがあるようだが、再生回数が多くなれば収入は増え、それだけ多くの広告が表示される。するとクリックされる回数も増え、収入は増えていく。チリも積もれば山となる。登録者数何千万人、年間の再生数何百億回、推定年収何億円というユーチューバーもいるわけである。
アクセス数を稼ぐための虚実入り混じった情報が氾濫しており、それらの情報が人びとに与える影響も少なくない。一方で「良質」な番組も少なからず、私たちとしてはそこに強い興味を持っているわけである。