林「情報法」(39)

法学における嘘の扱い (2): 消費者(保護)の視点から

 連載第36回で、経済学が開拓した「情報の非対称性」の理論を紹介しました。また経済学は「市場」を前提に議論するので、何らかの事情で「市場が失敗する」(法学的に言い直せば「契約が有効でない」に近い)事態を嫌います。その被害者の大部分は消費者ですから、法学が「嘘」から守る対象として「消費者」を第一に考えるのは当然とも言えます。このような分野の特別法の総体は、講学上「消費者法」と呼ばれますが、複合領域をカバーするので概説は容易ではありません。ここでは中田邦博・鹿野菜穂子(編)[2018]『基本講義 消費者法』(日本評論社)の諸論稿を中心に、最も分かり易い例を説明します。

・意思表示の特別法としての消費者(保護)法

 民法は一般法として、典型的・一般的な規定を定めるもので、それが十分でない場合には特別法が制定されることになります。大量生産・大量消費の時代を経て、サービスを含めた消費活動が活発化するにつれて、「情報の非対称性」等に影響された取引の弊害が目立つようになりました。そこで、A. 製品やサービスによる危害を防止する(安全)、B. 製品やサービスの表示を適正にする(表示)、C. 契約の形式や内容を公平にする(取引)の3局面で、新たな法的手当の必要性が生じました(第3章「消費者と行政法」中川丈久執筆)。

 このうち C. は、民法の意思表示の規定の特別法とも言える部分があるので、そこだけ説明しましょう。消費者が「契約は有効でない」と主張し得るケースとして、民法には、前回説明した ③ 錯誤、④ 詐欺、 ⑤ 強迫の3つ(以上、いずれも「取り消し得る」)に加えて、⑥ 公序良俗違反による無効(改正民法90条)、の4ケースが準備されています。しかし裁判結果を見ると、いずれも解釈論で取消や無効を証明することは難しく、「2000年における消費者契約法および特定商取引法の制定をはじめ、重要な特別法の制定や改正」が行なわれることになりました(第2章「消費者と民事法」鹿野執筆)。

 消費者契約法(2000年法律61号)は、上記C.のうち契約締結過程における民法の特別法として、消費者(原則として個人ですが、「事業として又は事業のために契約の当事者となる場合」は除かれます。同法2条1項)と事業者(同条2項では「法人その他の団体」か「事業として又は事業のために契約の当事者となる場合における個人」)間の取引(いわゆるB to C = Business to Consumer)には、民法より優先して適用されるものです(第6章「消費者契約法 (1) 総論・契約締結過程規制」鹿野執筆)。

 その第4条は、消費者が同条に規定される以下の4つのタイプの不当勧誘行為によって誤認または困惑して意思表示した際には、契約を取り消すことができるとしています。

     1) 重要事項の不実告知、不確実事項の断定的判断の提供(1項)、
  2) 重要事項等に関する不利益事実の不告知(2項。前項を含め民法の詐欺における「故意」を不要に)、
  3) 交渉の場からの退去意思の表明あるいは要請を無視した勧誘(3項。民法の強迫の要件を緩和)
    4) 通常の分量を著しく超える分量の勧誘(4項)。

 また特定商取引法(1976年法律57号)は、消費者トラブルの生じやすい訪問販売・通信販売・電話勧誘販売・連鎖販売取引・特定継続的役務提供・業務提供誘引販売取引・訪問購入の8つの取引形態だけを対象にするものですが、その限りでは民法に優先する規定を設けています。最も有名な例はクーリング・オフ(同法9条ほか。通信販売には適用されませんが、返品権という代替手段があります)と呼ばれ、「消費者が訪問販売などの不意打ち的な取引で契約したり、マルチ商法などの複雑でリスクが高い取引で契約したりした場合に、一定期間であれば無条件で、一方的に契約を解除できる制度」(国民生活センターのホーム・ページから)です。

 なお意思表示に関する一般原則は、有体物が中心の時代に制定されたものであるため、ネット取引の特性を反映して、修正されることがあります。例えば、電子商取引におけるクリックの間違いも表示行為の錯誤の一種ですが、「電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律」(2001年法律95号)によって、承諾の意思表示の錯誤に重過失があっても、表示行為に対応する内心的効果意思がなかった場合(同法3条1号2号の場合)には、原則(民法95条本文)どおり無効となる(3条本文)こととされています。ただし、事業者が承諾の意思表示を確認する措置を講じた場合や、消費者から事業者に対してそのような措置を講ずる必要はないという意思の表明があった場合には、表意者に重過失があれば表意者から無効を主張することはできません(3条但し書き)。

 これらの規定も民法の改正に連動して、法律名が「電子消費者契約に関する民法の特例に関する法律」となるほか、「無効」から「取り消し得る」ことに変更になり、新設される「動機の錯誤」には適用されず、「表示の錯誤」のみに適用されることになります。

・「消費者」に関する3つの見方

 それでは、消費者は「a. 専ら保護の対象」なのでしょうか? それとも「b. 賢い消費者」として、経済学の標準モデルであるrational personを具現化した存在と認識すべきでしょうか? さらには私自身の主張である「c. 誤り易い個人(Error-Prone Person = EPP)」に包摂されると考えるべきでしょうか? ここには、経済モデルとしての妥当性を超えて、「法学は消費者をどう捉えるべきか」という論点が潜んでいるように思えます。

 この点に関して前出の書籍の共編者である中田は、「甲 弱者としての消費者」「乙 自立した権利主体としての消費者(市場の主体としての消費者)」「丙 社会的弱者としての消費者(要保護性の高い消費者)」3つのモデルが鼎立していると分析しています(第1章「消費者法とはなにか」中田執筆)。

 甲 は、労働法が「弱者としての労働者の保護に重点がある」のと同じ考え方で、旧「消費者保護基本法(1968年制定)」の背景にあった発想と思われます。乙 は、それが2004年に大幅に改正され、名称から「保護」が削除されて「消費者基本法」となった時の発想に対応し、「保護から自立へ」がキーワードの1つになっています。丙 は、乙 を認めてもなお保護すべき対象(高齢者、18歳・19歳の若年成人、障碍者など)に対して、特別な扱いの必要性を説くものです。

 このような分析を私の分類と対応させると、a) と甲、b) と乙 はほぼ対応しますが、c) と丙 の関係は定かではありません。丙 では法学一般がモデルとする「合理的な判断ができる平均的個人(average reasonable person = ARP)」は原則的に除かれるのに対して、c) では適用の余地がある(一般人でも「時と場所と態様」によっては誤るので)という差があると思います。

 私としては、c) の「誤り易い個人」モデルをもっと広く理解してもらい、丙 におけるように特別扱いが必要な対象者だけではなく、一般人に対しても適用可能性を検討していただきたいところです。河上正二 [2018]「消費者法の来し方・行く末」『消費者法』第5号巻頭言 には、「平均的合理的人間から具体的人間へ」という表記がありますが、私の理解と同じかどうかは、なお見極める必要がありそうです。

  なお、このように消費者法では、権利の主体となるはずの「消費者」の定義が不明確である(法律によっては「購入者」「相手方」「顧客」などが主体であるとしつつ、「営業のために」した場合は除くと規定している)ことも反映してか体系的に論ずることが難しく、中田・鹿野(編)[2018] も、以下のように多くの法分野にまたがったものになっています。

  民法:例示した通り、消費者法は民法の特別法という性格を強く持っています。
  行政法:消費者庁・消費者委員会・国民生活センターのほか、公正取引委員会なども関係し、各種の行政規制・措置や課徴金の役割が高まっています。
  刑法:違反行為に対するサンクションとして刑事罰に期待する場面があり、刑事と民事の連携も生じています。
  経済法:独禁法の消費者保護法的な側面は、消費者法と相互補完の機能を持ちます。

・消費者問題は国際的問題

 インターネット取引には、国境がありません。また消費という活動は、万国に共通であるため国際的な運動論となる素地がありますから、消費者法については比較法的な視座を欠かすことはできません。食品安全におけるCODEX(ラテン語で「食品規格」の意)の役割、製造物責任法の国際的平準化、EUのデータ保護法制の域外適用による世界各国への影響等に見るように、消費者法の国際的伝播には注意が必要です。

 消費者運動の国際的組織であるCI(コンシューマーズ・インターナショナル)は、① 生活の基本的ニーズが満たされる権利、② 安全である権利、③ 知らされる権利、④ 選ぶ権利、⑤ 意見を反映される権利、⑥ 救済を受ける権利、⑦ 消費者教育を受ける権利、⑧ 健全な環境の中で働き生活する権利、の8つを消費者の権利として掲げています。

 消費者基本法制定50周年を記念した論文で、消費者委員会委員長である松本恒雄は、消費者被害の救済のしくみに関して、以下の3つの課題を指摘しています(「消費者政策の変遷と法整備」『国民生活』No.70、2018年5月)。

 ① 少額訴訟制度やADR によって個別被害の救済をもっとやりやすくする、
 ② 団体訴訟やクラスアクションによる集団的被害救済(2016年10月から施行されている「消費者の財産的被害の集団的な回復のための民事の裁判手続の特例に関する法律」(消費者裁判手続特例法)は、対象がかなり限定されている)、
 ③ 消費者保護執行機関、行政機関による消費者被害救済のための損害賠償訴訟(2006年の組織犯罪処罰法の改正と「犯罪被害財産等による被害回復給付金の支給に関する法律」の制定に基づく被害回復給付金支給制度があるが、消費者被害が「組織犯罪」に該当し、犯罪収益が没収・追徴されていることが前提と、要件が厳格である)。

・情報法との共通項

 以上、駆け足で「消費者法」を概観しました。いずれの特別法も、情報の量と質の面で見劣りし契約交渉力でも劣る「消費者」の立場を、民法の一般レベルよりも保護する立法(消費者取引法第1条の目的に相当)と言えるでしょう。しかも、意思表示を初めとして「情報法」の考察対象とかなりの重複がある点(情報が消費の対象になる場合と、情報が行為の基礎となる場合の両面で)に、お気づきになったのではないでしょうか。正直に言えば私自身も、この連載を通じて両者の交錯をより深く理解できるようになりました。

 消費者法の視点を持つことによって、情報の非対称性がある場合において、誰をどこまで保護する必要があるのか、あるいは保護だけに偏ってはいけないのか、が明確になるように思います。「消費者保護基本法」が「消費者基本法」に変わった歴史から見ると、個人情報保護法からも「保護」の文字が抜けて「個人データ法」となることも考えられます。また、中田・鹿野(編)[2018] は最も体系的な概説書ですが、前述の中川の A. B. C. 分類のうちC. の契約に重点があり、安全と表示に関する分析は相対的に薄いように思われます。

 このように、消費者法はまだまだ発展途上にあるという意味でも、情報法と共通項があるので、今後も両にらみの分析を続けていきたいと思います。しかしそのためには、私自身が消費者法をもっと深く理解する必要があると痛感した次第です。

林「情報法」(38)

法学における嘘の扱い(1):意思表示における「嘘」

 これまで「嘘」にまつわる種々の問題を、人文科学・経済学などの視点から見てきましたが、肝心の法学は「嘘」にどう対処しようとしているのでしょうか? ここには、人間の行為を規律する意味で基本となる「意思表示」をどう扱うかという日常的な問題と、それから派生する消費者保護のあり方、更には法律そのものが「虚構という嘘」の上に成り立っていることをどう考えるかというメタ思考的な問題、の3つの側面があります。それぞれを明確に分けた上で、逐次説明していきます。

・法学の基礎となる「意思表示」の扱い

 人間は日々膨大な情報を処理しています。英国の哲学者フロリディが、人間を「情報処理有機体(informational organism = Inforg)と呼ぶのも、もっともです。この情報処理行為のうち、特定の法律的効果をもたらすものを「法律行為」と呼びますが、その基本は個人の意思を他者に伝達する「意思表示」です。

 近代法の大前提は、「個人は合理的(reasonable)な判断能力を持っている」ということ(その能力を欠いた場合の扱いは、別途定める)ですから、意思表示は原則として尊重されなければなりません。どのような内容の契約であっても、一義的には(民法90条の公序良俗違反等の場合は別ですが)尊重されるという「契約自由の原則」は、その具体的現れです。しかし、その際には、取引が当事者間に閉じたものではないことにも配慮し、第三者の利益を害さないよう配慮する必要があります。   

 そのため民法は、表示された意思は原則として効果を持つものとし、例外的に効果をもたらさない場合だけを規定しています。民法93条から96条は、わずか4条に過ぎませんが、情報法の基本原理を示している、とさえ評価できます(4条以外にも重要な条文がありますが、ここでは省略)。以下、やや細かい法律論になって長くなりますが、「情報法とは何か」という原点に関係しますので、大筋だけでも理解してください。

 なお関係する条文は、民法の一部を改正する法律(2017年法律44号)によって改正されており、2020年4月1日から施行予定です。以下の説明は改正法を前提にしますので、『情報法のリーガル・マインド』のもの(pp.26-28)とは異なっていることに留意してください。ただし実際には、判例や学説で認められてきた要素を取り込むのが改正の主目的ですから、基本的な仕組みに変わりはありません。

・意思表示に問題がある5つのケース

 改正法に関する法務省民事局の説明資料「民法(債権関係)の改正に関する説明資料-主な改正事項-」(http://www.moj.go.jp/content/001259612.pdf)によれば、意思表示がそのまま受け入れられないケース(前節で言う「例外」)として5つを掲げています。これに若干のコメントを付加すれば、以表のようになります。

  内容 事例 改正の有無
①心裡留保(93条) わざと、真意と異なる意思を表明した場合 退職をする意思はなかったが、反省の意を強調する趣旨で、退職届を提出した 有(第三者保護規定の新設等)

②通謀虚偽表示
 (94条)

相手方と示しあわせて真意と異なる意思を表明した場合 財産を債権者から隠すために、土地について架空の売買契約をする なし
③錯誤に基づく意思表示 ③―1間違って真意と異なる意思を表明した場合(表示の錯誤) 売買代金として¥10000000(1000万円)と記載すべきところ¥1000000(100万円)と記載した契約書を作成してしまった(売主に錯誤) 有(③-2を明文化すると同時に要件を明確化し、「無効」ではなく「取り消し得る」こととして③~⑤を統一)
(95条) ③―2真意どおりに意思を表明しているが、その真意が何らかの誤解に基づいていた場合(動機の錯誤) 土地の譲渡に伴って自らが納税義務を負うのに、相手方が納税義務を負うと誤解し、土地を譲渡した(売主に錯誤)
④詐欺による意思表示 だまされて、意思を表明した場合 だまされて、二束三文の壺を高値で買わされた 有(第三者保護の要件の見直し等)
(96条)
⑤強迫による意思表示 強迫されて、意思を表明した場合 強迫されて、不必要な土地を買わされた なし
(96条)

・2020年4月からこう変わる

 上記のように整備された概念に対応する改正後の規定は、以下のようになります。アンダーラインの部分が、今回の改正箇所です。従来の「錯誤」の概念を明確にするとともに、「無効」とされてきた効果を「取り消し得る」こととして、詐欺・強迫による意思表示と同じように扱うようになることが読み取れます。

(心裡留保)
第93条
1 意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方がその意思表示が表意者の真意でないことを知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。
2 前項ただし書の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。
(通謀虚偽表示)
第94条
1 相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
2 前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。
(錯誤)
第95条
1 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第1項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
4 第1項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。
(詐欺又は強迫)
第96条
1 詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2 相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知り、又は知ることができたときに限り、その意思表示を取り消すことができる
3 前2項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

・表意者の故意による意思と表示の乖離=心裡留保と通謀虚偽表示

 以上の諸規定は一見込み入っていますが、全体を鳥瞰してみると、例外処理が行なわれるのは意思と表示が異なる場合に限り、表意者が真意でないことを知っている場合(表意者の故意による意思と表示の乖離)と、何らかの他律的要因で表意者が間違った場合(意思表示に瑕疵がある場合の意思と表示の乖離)の2つがあることが分かります。

 まずは、表意者が意識して「嘘」を表明した時の扱いです。これには、① 表意者だけが「嘘」と知りつつ表明する場合と、② 相手方と通じている場合の2つのケースがあります。更に両者から派生して、「相手方が嘘と知るべきであった」場合(③)と、両当事者以外の第三者が「嘘」だと知っている場合(④)があります。

 民法93条(心裡留保、単独虚偽表示とも言います)は上記 ① のケースを想定したもので、意思と表示が食い違う場合は、取引の安全を図る必要から「表示を重視」し「意思は関係なし」とするものです。これまでの連載では、「表示の偽装」を、倫理的あるいは商慣習上許されないとしてきましたが、法律上も「表示を信頼せよ」としていることになります。

 ただし、相手方が表意者の真意を知っている(このことを、法学では「悪意」であると言います。世間一般の用語の悪意とは異なります)か、あるいは知ることができたとき(知ることについて「過失」があると言います)には、その意思表示は無効とされます(93条1項但し書き)。これは上記 ③ のケースに対応するものです。

 次に94条(通謀虚偽表示)では、「相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効」として、② のケースへの対応を規定しています(94条1項)。虚偽表示であることを知る立場にある相手方を、保護する必要がないことから、当然のことと思われるでしょう。ただし、この意思表示の無効は、善意(これは前述の「悪意」の反意語で、法的には「事情を知らない」ことを指し、善人であるとは限りません)の第三者に対抗することができません(94条2項)。④ のケースへの対応です。

「対抗することができる」も法律用語で、「法律的な主張が正当なものとして認められる」ことを示し、その条件は通常法律に書かれています(これを「対抗要件」と言います)。ここでは逆に「対抗することができない」ですから、「そのように主張しても法的に正当なものとして認められない」ことになります。2人が通謀して行なったことで、事情を知らない第三者に被害が及ばないようにするためです。

・意思表示に瑕疵があることに由来する意思と表示の乖離:錯誤・詐欺・強迫

 第2類型として、人間は時として間違いを犯すことを前提にすれば、意思表示に欠陥(瑕疵)があった場合のことも定めておかねばなりません。間違いは、⑤ 自分だけの問題であるケースもありますが、⑥ 他者から影響を受けた場合もあります。

 ⑤ について民法95条(錯誤)は、「意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる」として、「表示に対応する意思がない場合」と「表示をする動機に錯誤がある場合」を定めています。ただし、「表意者に重大な過失(重過失)があったときは、(更に例外的な場合を除き)取り消すことができない」(95条3項)など、細かな条件が付されています。

 ⑥ について民法96条は、瑕疵ある意思表示(詐欺・脅迫がある場合)として、以下のように定めています。まず詐欺による意思表示は、原則として取り消すことができます(96条1項)が、第三者が介入した場合は、相手方がその事実を知っていた(悪意の)場合に限られます(96条2項)。また、その取消しは、善意・無過失の第三者に対抗することができません(96条3項)。他方、強迫による意思表示は取り消すことができる(96条1項)だけでなく、これについては96条3項に対応する規定はなく、善意・無過失の第三者にも対抗できます。 

 条文の数は少ないのですが、「嘘」についての法の基本的な立場を規定していることが、お分かりになったかと思います。

 

林「情報法」(号外その2) 最終講義

 連載の途中ですが、去る4月20日に情報セキュリティ大学院大学で「最終講義」の機会をいただきましたので、「情報を生業にして56年:何が分かったか」と題して、1時間ほど漫談調の話をさせていただきました。この3月に修士課程を修了したばかりの若江さんに、レポートを書いていただきましたので、ご紹介します。

「情報を生業にして56年」を聴講して

卒業生・若江雅子(読売新聞編集委員)  

 「Eureka(エウレカ)」とは、発見を意味する古代ギリシャ語で、「Eureka Situation」 は、これまで解くことのできなかった問題を突然、理解した時の歓喜の状態を指すという。情報セキュリティ大学院大学で4月20日に開かれた、林紘一郎教授の最終講義で教えて頂いた。

 アルキメデスが入浴中、浴槽に入ると水位が上昇し、その上昇分の体積はお湯に浸かった自分の身体の体積と等しいと気づいて、「Eureka!(私は見つけたぞ!)」と叫んだという逸話からくるそうだ。ウィキペディアによると、アルキメデスはこのとき、喜びのあまり浴槽から飛び出して裸のまま町中を走り回ったという。林先生はこのような発見の歓喜をご自分でも何度か体験されたそうだ。もっとも先生が裸で走り回られたかどうかは定かではない。

 その発見の一つが、通信と放送の融合である。通信事業と放送事業の相互参入の動きは、今年になってNHKのインターネット常時同時配信の解禁が閣議決定されるなど、今でこそ当然の流れとして受け止められているが、林先生が「インフォミュニケーションの時代」(中公新書)の中でこの動きを「予言」されたのは、電電公社(現・NTT)在職中の1984年。まだインターネットの前身であるJUNETが一部の大学間でつながったばかりで、車載電話もようやく実用化が始まった頃であるから、驚くばかりだ。朝の4時頃に突然、目が覚めて思いついたとのことで、心の中で「Eureka!」と叫ばれたに違いない。

「予言力」とでもいうのか。先を見通すその力は、NTT退職後、慶応大学で法学博士を取得された後、まず著作権法に狙いを定めたところでも発揮されたように感じる。無体財である「情報」に対して、有体物を前提にした所有権のアナロジーを適用するのは無理があり、全く別なアプローチが必要になるーーと考えた先生は、まずはそのモデルを著作権法の世界に求められたのだという。

 情報財は「排他性(他人の利用を排除することができる)」と「競合性(自分が使っていると他の人は使えない)」を欠き、「公共財」に近い面がある。さらに、デジタル化により容易かつ安価に、しかも劣化することなく複製・拡散され、一度流出したら取り戻すことができないなどの特徴をもつ。これに対し著作権制度は強硬に従来型の所有権アナロジーで対抗しようとしており、いずれ混乱がくると予想した林先生は、その衝突の構図の中に情報法の抱える問題が浮き彫りになると判断されたのであろう。先生の予測から十数年を経て、現行の著作権制度が抱える矛盾と困難は、海賊版サイトを巡るブロッキングやダウンロード違法化・刑事罰化の騒動で露呈したのはご承知の通りである。

 最終講義で先生は繰り返し、ご自分が「実学」の研究者であることを強調されていた。「働きながら考え、仕事で吸収したことを書いてみてもう1回考え、理論化してまた仕事にフィードバックするというやり方をしてきた」。先を見通す卓越した能力は、実学の人ならではのものなのかもしれない。

 特に印象的だったのは、1947年にハーバート・サイモンが「Administrative Behavior」で提唱した「限定合理性」の概念を引用して、「人間が合理的に考えるとの前提は大間違い」として、それがサイバー・セキュリティ分野の理論構築の極意であるとおっしゃった点である。経済学と法学で博士号をもつ先生だが、「『人間は合理的な存在である』という経済学も、『人間は合理的な判断ができる』という法学も、近似解を与えるにすぎない」とされる。人間は「最適解」ではなく、「次善解」でやりくりすることで辻褄を合わせているもので、とりわけセキュリティ分野では、この「良い加減さ」を理論に組み込んでいかなければ現場に適用できないというのである。情報セキュリティ大学院大学で林先生の授業を受けた学生の多くは、サイバー・セキュリティの第一線で奮闘する社会人学生が多いが、腑に落ち、勇気づけられる言葉だったのではないだろうか。

 ところで、先生はこの日の最終講義のために、これまで発表した自身の著書、論文を洗い出してみたところ24本あり、その内訳は、経済学3、企画・経営学8、法学9、そしてセキュリティが4だったと披露された。セキュリティ分野での論文は2011年以降の共著の論文4本で、その比重が小さいことはご自身も意外だったようで、「セキュリティ分野の研究はまだまだやり足りない。この分野はまだ開拓可能である」と力強く抱負を述べられた。この先も先生がたびたび「Eureka!」と叫ばれるであろうことは間違いない。教え子である我々も、先生の後塵を拝しながら精進し、せめて1回ぐらいは「Eureka!」の快哉を叫びたいものである。