新サイバー閑話(28)

オーラルヒストリーシリーズ 

情報法オーラルヒストリーシリーズ1 情報の法社会学 名和小太郎さんから『情報の法社会学』(翔泳社)という本をご寄贈いただいたが、それが「情報法オーラルヒストリーシリーズ1」(オンデマンド印刷版)と銘打たれているのが興味深く思われた。

 情報法、著作権、情報倫理などの分野で大きな功績を残した名和さんの足跡を、彼が歩いてきた現場、言わば生活史を通して記録したものである。どういう仕事を通してIT社会の諸問題にかかわることになったのか、当時の人びとは新しい問題にどう取り組もうとしたのか、どんな分野からどんな専門家が集まって来ていたのか――。聞き手は新潟大学法学部教授、鈴木正朝さんである。

 IT社会を牽引した方々はすでに老境にさしかかっているが、インターネットそのものが辺境から立ち上がり、主流へと躍り出た歴史を反映して、多彩な経歴の人が多い。学問的業績を上げた人も、多くは実務家だったり、後にアカデミズムに転じたりしている。その人生行路は、日本的タテ社会を上昇するよりも、むしろ異なる分野を横断してきた傾向も見られる。

 これら先人が悪戦苦闘した道そのものがIT社会発達史であり、情報法をはじめとする先端的学問分野の成長過程だった。既にそれぞれに学問的成果を公表しておられるし、回顧的な記録も残されているけれど、そういった体系的著作ではあまり触れられない、本人も忘れているような具体的事実や興味深いエピソードを聞き出し、それを一定の基準のもとに整理記録しておく「オーラルヒストリー」の意義は大きい。新しい学問分野、あるいは先端的事業であれば、なおさらである。名和さんの話にも、「そういうことだったのか」、「まるで知らない話だなあ」などと、思わず合点する読者も多いのではないだろうか。

 鈴木さんの話だと、とりあえず情報法の分野に限った企画のようで、林紘一郎さんが2番手、他に何人かの候補もリストアップされているという。企画を実現した関係者に敬意を表したい。

 ちなみに、名和さんには本サイバー燈台で「後期高齢者」というコラムを書いていただいている。林紘一郎さんにも「情報法のリーガル・マインド その日その日」で健筆を振るっていただいている。また、もう1人のサイバー燈台の筆者、小林龍生さんは「情報革命の時代にあっては、その動きの多くが、アカデミズムから少し外れた現場の知によって支えられ推し進められてきた。時の流れとともに忘れ去られてしまう危険性が大きいそれらの事実を記録に残していく意味は大きいのではないか」と、我が意を得たりの述懐をしておられる。

・日本パーソナル・コンピュータ発達史

 そのうえで思うのは、この企画を法や情報倫理など人文科学の分野に限らず、インターネット技術そのもの、パソコン、ベンチャー企業、文字コード、黎明期に雨後のタケノコのように現れたソフトウエア、メディアといったところまで広げられないかということである。

 実は、私は『ASAHIパソコン』編集長だったころ、「日本パーソナル・コンピュータ発達史」という連載を企画したことがある。筆者も念頭にあったのだが、実現せずに終わった。

 たとえば、『ASAHIパソコン』創刊前につくったムック『おもいっきりPC-98』(1987年、朝日新聞社)には、ワープロソフトと表計算ソフトだけでも、以下のものが掲載されている。

 【ワープロ】一太郎、The Word、オーロラエース、創文、ユーカラart、松86、デスクup、テラⅢ世、QUEEN-Ⅱ、小次郎98/武蔵98、美文、しのぶれど、HuWORD、弘法Ⅱ、TWINSTAR2
 【表計算】Lotus1-2-3、Microsoft Multiplan、SuperCalc3R2、HuCAL16、The File

 ハードウエアに関しても、これは白田由香利さんに聞いたのだが、彼女は大学院学生のころ、登山用リュックを背負って小田急線、百合丘にあったガレージ会社に出かけ、基本ソフトCP/Mで動くパソコンを買ったという。そういうパソコンの広告が当時の雑誌、『トランジスタ技術(トラ技)』にたくさん載っていたらしい(矢野直明編『パソコンと私』所収、1991年、福武書店)。ハードとソフトを組み合わせたソードという先端的なベンチャー企業もあった。

 当時、すでに百花繚乱だった初期の個性的なソフトウェアの多くは消え、大手IT企業の製品に取って代わられつつあったが、それぞれのソフトやハードに特有の歴史とドラマを丹念に取材して記録しておきたいというのが企画の意図だった。

 今回の企画「オーラルヒストリーシリーズ」に接して、昔を思い出すと同時に、これを他分野へももう少し広げられないかと思ったわけである。もちろん一出版社には荷が重い仕事だろう。だとすれば、こういう事業への公的援助があっていいし、それが無理なら、どこかのIT企業が大金を投じても良さそうに思うけれど、どうだろうか。

 

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