林「情報法」(21)

主体と客体に関する情報法の特異性

 前回の記述を、連載の初期に紹介した「情報法の客体である情報の特異性(ユニークさ)」と掛け合わせてみると、いよいよ情報法の真髄に迫れるように思います。情報通信学会での講演テーマ「情報社会(情報法)の主体と客体」は、そのような意図で選んだものですが、果たして聴衆に通ずるでしょうか。この歳になっても、多くの聞き手の前で話をするのは、緊張するものです。

・有体物の法と情報法の差異

 有体物の法は、主体として自然人と法人を、客体として有体物のみを扱うもので、シンプルな構造になっています。これに対して情報法の主体として、センサー・ロボット・自動運転車やAI(Artificial Intelligence)などが加わることは、前回述べたとおりです。また、その客体には、情報がコンテナとしての有体物に入れられた(法律用語では「化体された」と言いますが、法律以外では使わない言葉なので、判決では「体現された」と言い換えています)場合と、「情報」という無体財のまま流通する場合があります。 

 この両者の関係を、主体が客体をどこまで支配できるかを示す「権利」という法概念で整理できるでしょうか? 有体物は通常1つしかないので(量産品であっても、製造番号なので識別できれば、それぞれ1つと数えます)、「その権利は誰かに独占的に帰属する」と考えることは現実的です。「占有」(民法180条) とか「所有」(同206条) という法概念は、実際に情報社会以前の社会を効率的に規律してきました。

 ところが、情報には「占有」や「所有」といった概念はなじみません。なぜなら、情報は広く世界に存在しているので、共有する方が楽で(この性質を経済学では「情報の公共財的性格」と呼びます)、逆に独占的権利を割り当てる方がコストがかかるからです。しかも、有体物なら売手から買手に物自体と権利が移転しますが、情報の場合は「複製」という行為によって売手にも買手にも同じ情報が残ります。加えて、その取引は不可逆で「売りたくなかった」と思っても、取り戻すことができません。従って、情報に対して例外的に権利が付与されるのは、「知的財産」か「秘密」に該当する場合だけです。

 情報についてはもっと面倒な事態も起こります。それは「情報」が有体物に体現されることなく、インターネット等を介して非有体物のまま流通する場合です。有体物に体現されていれば、その有体物に着目して法制度を考えることができます(いわば有体物アナロジーです)が、情報が「生のまま」流通する場合には、有体物法とは違った、真の意味の「情報法」を構想する必要が生ずるのです。

個人的見方としては、「個人データ」と「個人情報」、それに「プライバイー」という概念を巡る混乱は、ここに原点があると思っていますが、この点は既にこの連載の第9回で述べましたので、ここでは繰り返しません。代わりに、ここまでの「主体・客体・権利」に関する議論をまとめてみると、次表のようになります。

表 主体・客体概念を中心にした有体物の法と情報法の差異

比較項目

有体物の法

情報法

主体

自然人と法人

自然人と法人に加え、センサー・ロボット・自動運転車やAI(Artificial Intelligence)など

客体

有体物。知的財産(という情報)も有体物に体現(固定)された状態を想定

広義の情報(データ、狭義の情報、知識)。占有できないし、意味の不確定性がある

権利

主体が客体に対して有する排他権として整理可能(所有権が代表例)

情報には排他性がなく、複製で容易に増えるので、知的財産か秘密に分類される場合以外は、排他権が付与できない。また、主体と客体を峻別できないほか、両者の逆転現象も

(注)主体・客体・権利に関するもの以外にも差異はあるが、ここでは省略している。

・情報機器に関して生ずる法律問題を、有体物の客体論で裁けるか?

 それでは、情報を扱うハードウェア(有体物)から生ずる問題を、従来の法的仕組みである「有体物アナロジー」で裁くことができるか、またそれは妥当か、を検証していきましょう。分かり易い「客体」の方から始めると、情報がコンテナとしての有体物に入れられた場合と、「情報」という非有体物のまま流通する場合があることは前述のとおりです。前者の「体現された」場合の例として、サーバへの無断クローリングや、それによる情報の窃取を検討してみましょう。

 有体物の所有権が侵害された例として、自分の土地に他人が勝手に入ってきた場合を想定するのは、分かり易いと思います。この行為に対して、わが国の法では「不法侵入」として、民事的(所有権に基づく妨害排除請求権。民法709条など)にも刑事的(刑法180条の住居侵入罪など)にも、権利者の救済が認められています。アメリカは法体系を異にする国ですが、trespassという概念で救済されるところは同じです。

 そのアメリカでは、eBayという著名なオークション・サイトが、競争相手(まとめサイトあるいは比較サイト)が無断クローリングを行なった(サーバの機能を著しく低下させた訳ではない)ケースで暫定的差止命令を求めたのに対して、trespass to chattel(動産に対する不法侵入)という法理を適用して、これを認めています(同様の事例が他にもあります)。trespassそのものは不動産に対するものですが、そのアナロジーを動産に適用したものです(eBay v. Bidder’s Edge、カリフォルニア北部連邦地裁、2000年判決)。

 この判決に対しては、無断でアクセスしただけでサーバの機能ダウンなどの実害が生じていないのに、差止を認めるのはおかしいという批判があります。現にインテルで業務中に自動車事故に遭い、5年経っても治癒しないとして同社を解雇された元社員が、かつての同僚に元・現従業員用メール・システムを通じてメールを送った件では、一審・二審とも差止を認めましたが、カリフォルニア州最高裁は4対3の僅差ながら、trespass to chattelに当たらないとして下級審の判断を覆しています(Intel v. Hamidi、2013年判決)。しかし今日でも、この法理は有効なアナロジーだとする有力な論者がいます。

 更に進んでそのサーバにある情報を窃取した場合はどうでしょうか? アメリカではinformation theftという表現はポピュラーですし、日本では「なりすまし」に該当するケースもidentity theftと呼ぶのが普通です。しかし、それは俗語であって法律用語ではありません。法律的には、一般的な「情報窃盗罪」は成り立たず、個別に法律に規定がある場合に限って営業秘密の窃取などとして罰せられるか、その前段であるコンピュータへのアクセスが、Computer Fraud and Abuse Act = CFCA法(わが国の不正アクセス禁止法に相当)違反に問われるだけです。つまり、情報が有体の機器に収められている場合にもアナロジーには限界があり、情報そのものを保護するには、別途の立法や理論建てが必要なのです。  

 ましてや、情報が有体物に体現されることなく、情報そのものとして流通する場合には、実務的には多くの困難を伴います。例えば知的財産の一種として、所有権に近い保護が揃っている著作権法でも、次のようなケースが考えられます。わが国の著作権法では、「固定」(先の「体現」に対応するものと考えて良いでしょう)は要件とされていませんから、ライブ中継のストリーミング情報にも著作権が成立しますが、セキュリティを破った侵害に対する救済は容易なことではないでしょう。

・情報機器に関して生ずる法律問題を、有体物の主体論で裁けるか?

 次に、主体論における有体物アナロジーに移りましょう。ここでは、自然人に適用される原理を、法人に適用してきた経緯と経験が生かせるでしょう。法人は、かつては「擬制」に過ぎないと捉える見方もありましたが、資本主義の発展には不可欠な仕組み(つまり資本調達とリスク分散の格好の手段)として「実在」するものと見られるようになりました。今日では、法の主体として自然人とともに、あるいは分野によってはそれ以上に、重要なプレイヤーと理解されています。

 そこで具体的には、自然人と法人に適用される原理を、センサー・ロボット・自動運転車やAIといった情報機器に関して生ずる法律問題に、アナロジーとして適用できるか否かが問題になりますが、私はそれは可能だと信じています。その根拠は、これらの情報機器の方こそ、人間の脳や情報処理のあり方をシミュレートして作り上げられた人工物に他ならないからです。これを別の面から見れば、自然人・法人・情報機器の間には、何らかの共通項があるのではないか、という仮説を示唆しています。

 そして私が読む限り、このような発想に最も近い書物は、Luciano Floridiの “The Forth Revolution” ではないかと思われます。彼は「人(自然人) はInformational Organism = Inforg だ」と言っていますが、その理論を延長すれば「自然人・法人・情報機器はすべてInforg だ」と言えないかというのが、私の仮説です。もっともFloridiでさえ、未だ「法人はInforgだ」とは言っていないので、私の道はなお遠いのかもしれません。

 

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