名和「後期高齢者」(2)

椅子への適応

  「アフォーダンス」(affordance)という言葉だが、と書きながら手元の辞書にあたってみたら、’afford’ はあるが ’affordance’ はない。あれっ、とオクスフォードの『英語語源辞典』をみたら、すでに ’afford’ 自体、その素性がはっきりしない単語だ、と書いてある。

 あわてて『ウィキペディア』を参照してみたら、「アフォーダンス」とは、知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンが、「与える、提供する」という意味の ‘afford’から作った単語であり、その意味は「環境が動物に対して与える意味」とのことである。

 だが現在、この言葉は認知心理学者のドナルド・ノーマンが示した「モノに備わった、ヒトが知覚できる行為の可能性」(1988年)という意味に使われている。とくに、ユーザーインタフェースやデザインの領域においては、「人と物との関係性をユーザに伝達すること」、あるいは「人をある行為に誘導するためのヒントを示すこと」という意味で使われているらしい。これは本来の定義からすれば誤用だとする意見が少なくないようだが、ここは専門家に任せ、以下、私はノーマンの理解にしたがいたい。

 ノーマンはアフォーダンスの見本として椅子を示し、椅子は支えることをアフォードし、それゆえ腰掛けることをアフォードする、と説明している。椅子は筋肉の衰えた高齢者にとっては不可欠のものなので、しばしば取り合いの対象となる。以下、しばらく椅子にこだわってみたい。

 椅子には、長椅子もあれば折畳椅子もある。デッキチェアもあればソファーもある。だが、それがどれであっても、どこにあっても、人はそこに腰掛けるように仕向けられる。椅子のうえで結跏趺坐をする人は、あるいは、椅子を亜鈴代わりに持ち上げる人は、まず、いないだろう。

(ところで、岡本太郎に『坐ることを拒否する椅子』(1963年)という作品がありましたね。その表面に坐り心地が悪そうな凹凸があり、しかも硬い陶製、くわえて原色の目玉が描かれている。「くつろがせてくれない」というコンセプトで制作されたとのよし。太郎はすでにアフォーダンスという概念を、逆の立場から把握していたのだろう。ついでに検索してみたら、いま、この作品には162万円の値段がついている。)

 椅子の一種として、プラスチックス製で、背もたれの屈曲した長椅子が、いかにもデザイナー好みの形をしたものが、公共空間に、たとえば駅のホームや病院の待合室に、置かれていることが多い。この背もたれの曲面に自分の身体の曲率がなじまない人にとって、これは悲劇。

 【参考文献】
D.A.ノーマン(野島久雄訳)『誰のためのデザイン:認知科学者のデザイン原論』新曜社 (1990)
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

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