ディストピア映画(~1980年)

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 どもども。kikです。今回は、特定の映画ではなく、ジャンル・ムービーについて書いてみようかなと。

 これまで、1980年より前の、つまりまだインターネットなんてものがなかった時代に作られた映画を題材に、ざっくりとですが、サイバーリテラシー的(?)なテーマを探ってきました。

 大半がSF映画でしたが、SFというのは単に Science Fiction の略だけでなく、Speculative(思弁、思索)Fiction としての側面もあるため、その時代に作られたSF映画から、当時の人々が(少なくとも映画人が)、どういった問題に関心を持っていたかが分かります。特に、悲観的な未来を描いた作品からは、当時の人々が未来に対して、どういう不安を感じていたかを(多少なりとも)窺い知ることができるわけです。

 そして、そのような悲観的な未来像=およそ「ユートピア(理想郷)」とは正反対の未来を描いた作品群を、フィクションの世界では「ディストピア」というジャンルに分類します。

 1980年より前の時代、このジャンルで多かったのは、やはり「核戦争後の世界」を描いた作品でした。二度の世界大戦や東西冷戦といった当時の世界情勢は、全面核戦争で世界が滅ぶ未来像に、リアルな説得力があったのでしょう。

 ただ、この種の映画は「ディストピア」の一種ではありますが、「ポスト・アポカリプス(終末後)」というジャンルにも分類されます(まあ、細かいジャンル分けをしだすとキリがないのですが)。

 なので、名作『渚にて』 (1959)を始め、『タイム・マシン 80万年後の世界へ』(1960)、 『タイム・トラベラーズ』(1964)、 『未来惑星ザルドス』(1974)、 『SF最後の巨人』(1975)、 『世界が燃えつきる日』(1977)等々、SFマニアには有名な作品も多い年代ながら、今回これらの作品には触れません。

 さて、ディストピア本来の定義からすると、ディストピア映画とは、基本的に全体主義管理社会監視社会を描いた作品が中心となります。

 まあ、同じ管理社会でも、何が管理されているかによって、描かれるテーマは変わります。70年代は、ちょっと特徴的なディストピア作品が増えた時代でもありました。

 この時代、人々の関心に「急激な人口増加」が加わったため、『赤ちゃんよ永遠に』(1972)、 『ソイレント・グリーン』(1973)、 『2300年未来への旅』(1976)といった、人口問題を扱った作品が多く発表されました。

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 それぞれ「人口爆発」への対処法が描かれますが、『赤ちゃんよ永遠に』の未来世界では、そもそもの出産が禁止されています。妊娠、出産をした者は死刑。子供が欲しい夫婦はロボットベビーを買って育てます。そんな世界で、どうしても本物の赤ちゃんが欲しくなったキャロル(ジェラルディン・チャップリン=チャーリー・チャップリンの娘)は、危険を覚悟の上で、ある決断をします。

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 『ソイレント・グリーン』の世界では、人口増加によって格差社会が広がっています。食糧不足のため、貧しい人々には、プランクトンを原料とした合成食品が配給されます。その合成食料を作っている会社の幹部が殺されたことで、捜査に当たったソーン刑事(チャールトン・ヘストン)は、恐るべき真実を目にするのでした。

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 一方、『2300年未来への旅』の世界では、出産制限も食料不足もありません。なぜなら、コンピュータで管理されたこの世界では、30歳になった人間は殺されるからです。

 当然、逃亡者も出てくるので、それを追うサンドマンという職業が存在します。サンドマンのローガン(マイケル・ヨーク)は、コンピュータの指令で逃亡者たちの聖地へ潜入しますが、そこで衝撃的な事実を知ります。

 いずれもエンターテインメントである以上、極端な世界を描きますが、問題の本質は現代にも通じます。人口問題もそうですが、命に対する権利について、改めて考えさせられます。

 さて、もう少しサイバーリテラシー的な視点のディストピア作品も挙げてみます(過去に紹介した『メトロポリス』『時計じかけのオレンジ』なんかもその一例ではありますが)。

 街のいたるところに監視カメラがあり、ネットを通じて様々な個人情報が吸い上げられ、何かあればSNSで全世界に身元を晒される現代では、「国家が国民のすべてを監視している世界」「情報統制によって人々が管理されている全体主義社会」というのはリアルな脅威ですが、実はこの時代にも、その種の作品が存在していました。

 というより、(映画に限らず)ディストピアというジャンルの生みの親のような小説があり、この時代にはもう、映像化を果たしていたのです。

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 その中で、まず取り上げたいのは、『1984』(1956・英)です。日本では劇場未公開でしたが、ジョージ・オーウェルの原作は広く知られていますね。映画は、ほぼ原作通りです(アメリカ公開版は結末が違いますが)。
※ 尚、本作は1984年にもリメイクされました。そちらの紹介はまたいずれ。

 ここでの世界は、絶対君主ビッグ・ブラザーによる完璧な監視体制によって、国民を管理・支配する全体主義国家です。主人公ウィンストン(エドモンド・オブライエン)は情報操作を行う「真実省」に勤務していますが、体制に疑問を持ったことで(当然ながら)破滅の道を歩きます。

 ちなみにこの小説、約70年前の作品ですが、トランプ大統領就任以降、アメリカ(Amazon)で、ベストセラーのトップに躍り出て話題となりました(売り上げ9500%増だそうです)。作中、国民の思考を制限するための「ニュースピーク」という架空言語が登場しますが、「オルタナティブ・ファクト」だと主張する政権に対し、多くの人が「ニュースピーク」を連想したとのこと(・∀・)

 また、ビッグ・ブラザーの監視体制は、スノーデン氏が告発した、アメリカ情報機関(NSA)による国民への監視をも連想させます。こうした監視は「テロ対策」が主な理由とされますが、「安全」との引き換えに、市民への監視や自由の制限は、どこまで許容すべきでしょうか。「安全か自由か」は、サイバーリテラシー的にも大きな問題の一つです。日本人は、個人情報漏洩は警戒するものの、監視社会についてはあまり気にしていないという調査結果があるようですが、もはや他人事ではありません。

 監視とサイバーセキュリティを専門とする弁護士、ジェニファー・グラニック氏は、「今や私たちは誰もが運動家です。つまり誰しも政府による監視を心配すべき何かがあるということです」と語ります。

 うん。それな(´ー`)σ 

華氏451 [DVD]

 次に挙げる作品は、『華氏451』(1966)です。レイ・ブラッドベリの同名原作をフランソワ・トリュフォーが監督した作品ですが、こちらの世界では、の所持が禁じられています。

 一見、平穏な社会が築かれていますが、市民が相互監視し密告しあう世界です。また、本を読んで考えることをしないので、住民は思考力が乏しく、記憶力も衰えています。そんな世界で、本の焼却を仕事としているモンターグ(オスカー・ウェルナー)は、偶然出会ったクラリス(ジュリー・クリスティ)から本の魅力を教えられていきます。

 この世界では、「本」が有害で、社会秩序を脅かす存在として扱われています。しかし、本を読まず、自ら考えることを放棄した人々は、無害だけど無能な、ただ管理されるだけの存在へと飼いならされているのでした。

 安全、秩序といった、誰もが反対しにくい言葉と引き換えに、監視・管理社会となっていく世界といえば、9・11後のアメリカ社会がまさにそうでしたね。日本のテロ等準備罪(共謀罪)も含め、注意すべき状況は常にあります。

 しかし、人間はそうした管理や抑圧に対して 必ず自由を希求するはず……という考え方は、今も昔も存在します。1967年、南カリフォルニア大学時代のジョージ・ルーカスは、『電子的迷宮/THX 1138 4EB』という短編映画で、恋愛さえ禁じられた世界から、主人公 に愛の脱走劇を演じさせましたし、ウディ・アレンは『スリーパー』(1973)で200年後に生き返り、未来の全体主義を笑いで打ち破っています(抱腹絶倒です)。

 ディストピア映画で、恐ろしい未来を描きながら、どこか希望の残るエンディングとなる場合が多いのは、作り手の、人間性への信頼なのかもしれません。この流れは、『未来世紀ブラジル』(1985)、『マトリックス(シリーズ)』(1999~)等へ受け継がれて、現在に至ります。

 もっとも、インターネット以降の時代に、人々を抑圧するのは、必ずしも国家権力とは限らなくなってきました。既存の権力を批判し、自由を追求してきたはずのネット企業が、自らが(一種の)権力となってしまい、ユーザの自由や権利を制限しはじめています。そのことが、場合によっては国家の権力を強化したり、有益な情報を発信しようとする人々の権利を阻害しているのです。なんとも複雑な時代ですね。

 しかし、CNNの元記者で北京支局長や東京支局長を務めたレベッカ・マッキノン氏は、「テロとの闘いで、権利を犠牲にする必要はない」と言い切ります。

 確かにその通りです。でも、もちろん、そのための「闘い」は必要でしょう。あらゆる平等、自由、権利は、それを理想とする人たちの長期間にわたる運動によって、ようやく勝ち得たものです。スピーチの中で彼女が言うように、公害を撒き散らしている企業の社長が、ある朝突然、「よし土地の汚染を取り除こう!」と思い立つことはありません。企業への規制も、市民の運動があってこそ。まさに、「沈黙を守っている知恵、あるいは 発言する力なき知恵は無益なり」(キルケ)ってとこでしょうか。

 映画は時に権力側のプロパガンダとしても利用されますが、それでも多くの示唆を与えてくれます。ディストピアというジャンルは、人類の未来に対する、最終的な希望のジャンルかもしれません。その希望に応えるには、やはりサイバーリテラシーこそ重要なのです(無理やり着地した感)。

 

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“ディストピア映画(~1980年)” への1件の返信

  1. kkkkkkkkkkkkeeeiiiii

    あと、SFには「すこし不思議(by藤子・F・不二雄)」という側面もありますね。
    ビッグブラザーは「今IT社会で」でも扱っているので、リンクしてみます。
    http://www.cyber-literacy.com/cll/dialogue/koho-vol134-135

    楽屋話では、kikさんの映画雑談に花が咲いたのでした。
    色々と「映画史に見るサイバーリテラシー」に繋がる雑談もあって、今読むと新たな面白さがありますね。(すごい宣伝的w)

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