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<title>サイバー閑話</title>
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<title>「世界観」と「処世訓」</title>
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<summary type="text/plain">　東日本大震災のときも転載した情報システム学会のコラム「システムの肥大と人間の想...</summary>
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<dc:subject>スクラップ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　東日本大震災のときも転載した情報システム学会のコラム「システムの肥大と人間の想像力」最終回（第9回）は、サイバーリテラシーと情報倫理についての最新の論考でもあり、同学会のご了解を得てここに転載しておきます。</p>

<p>　なお、アップルのスティーブ･ジョブズ氏がCEOを退いた時点で、サイバー大学のウエブに書いたコラム<a href="http://www.cyber-u.ac.jp/column/it/018/">「IT社会の将来を『幻視』する」</a>もあわせてご覧いただければ幸甚です。日本の若者がvisionaryとして世界に飛躍することを期待しています。<br />
</p>]]>
<![CDATA[<p>サイバーリテラシーと情報倫理</p>

<p>　長い間、「大人の道具」と「子どものおもちゃ」は別物で、子どものおもちゃは大人の道具の模造品だった。女の子のままごと、男の子のちゃんばらごっこ、みなそうで、子どもは大人の社会に入っていく訓練として、いわばそれらの遊びをしていたと言えるが、最近になって、「大人の道具」と「子どものおもちゃ」の境界は渾然としてきた。</p>

<p>　私の記憶によれば、</p>

<p>　＜1＞ビジネスツールのポケベルを、女子高生などが数字を言葉に読み替えてコミュニケーションツールとして使うようになった。<br />
　＜2＞ファミコンは子ども用のおもちゃとして売り出されたが、大人もけっこうおもしろがって遊んだ。<br />
　＜3＞大がかりなアーケードゲームと、たとえば日航のフライトシミュレーターがよく似たものになってきた。</p>

<p>　などの現象があった。</p>

<p>　コンピュータ技術の発達がそれを使った機器の高機能化、小型化、低価格化を促し、従来にないやり方で世の中を変えた結果、大人の道具と子どものおもちゃの垣根も取り払われた。ケータイになって大人の道具＝子どものおもちゃになった、と言うよりすべての道具が万人共通のものになった。その完成形がスマートフォンと言えるかもしれない。大人が使う場合と、子どもの場合は、ソフトウエア的に機能が異なることがあっても、機器そのものはほとんど同じで、操作はほとんどボタン一つ。操作ということでは、子どもの習熟度の方が高い。</p>

<p>　大人と子どもの世界の境界がぼやけたということでもあるだろう。だからこそ、これまでの大人から子どもへの伝統や知識の伝達が、デジタルネイティブ（子ども）からデジタルイミグラント（大人）へといったかたちで、一部では完全に逆流してしまう。</p>

<p>　大人の社会においても、技術の民生用と軍事用といったジャンルによる区別はなくなり、ヒエラルキー構造は崩れ、ネットワークの威力が増すなど、既存秩序そのものが大きく変容している。</p>

<p>　連載中にふれたけれど、「社会の包摂性」とか「再帰的社会」、あるいは「リスク社会」といった現代社会の傾向が、ITによって急激に、しかも広範囲に促進されていることは明らかである。リスク社会の恐ろしさを、私たちは3.11大震災による福島第一原子力発電所の事故によって強烈に思い知らされた。</p>

<p>　現代IT社会においては、「個」と「社会」の関係もきわめて硬直化している。社会学者、宮台真司の表現を借りれば、＜システム＞の全域化によって＜生活世界＞が空洞化している。「個人は全くの剥き出しで＜システム＞に晒される」ようになり、「『善意＆自発性』優位のコミュニケーション領域から『役割＆マニュアル』優位のコミュニケーション領域へと」押し出されている（1）。</p>

<p>　2008年の秋葉原大量殺傷事件の際よく言われたように、かつては不況になれば帰るべき田舎（故郷）や家があったが、現代の農家はすでに余計な人間を包み込む能力をなくしているし、両親が離婚して帰るべき家がない若者も多い。原発事故では、多くの人が故郷そのものを失った。原発に賛成してきたにしろ、反対してきたにしろ、事故が起これば平等に放射能にさらされるのである。</p>

<p>　リバタリアニズム（自由至上主義）か、コミュニタリアニズム（共同体主義）かといった論争が一時さかんだったけれど、現代IT社会においては、個人の生き方がそのままシステムに跳ね返るから、個人の生き方と社会の秩序はすでに不可分に結びついている。</p>

<p>　大袈裟に言えば、サイバーリテラシーは、現代IT社会の構造を明らかにしようとする一つの「世界観」である。「サイバーリテラシー3原則」や「総メディア社会」はその見取り図であり、以前に紹介した「サイバー空間と現実世界の交流史（交流図）」は、それを主として時系列で見ようとする試みだった。「グーグルからフェイスブックへ」という表現を使い、そこに現実世界の復権を見ようともしてきた。</p>

<p>　そして情報倫理は、この社会をどう生きるかを示す「処世訓」と言っていいかもしれない（2）。ここに、法やルールとは違う情報倫理の役割がある。現代においては、強制力をもった法や自発的なルールを整備する前に、これまでの常識を覆すような事態が起こる。人工知能の「フレーム問題」（あらかじめ「グラスを持っても、人間は死なない」といった自明なことを記述せざるを得ないという難題）ではないが、激動するIT社会のあらゆる行動基準を法やルールで定めることは不可能である。</p>

<p>　大岡昇平「野火」で、左手が右手の動きを思わず止めたような行動は、自律的な心の作用＝倫理によって担われるしかない。しかもIT社会で新たに生起する問題は、これまでの伝統的倫理ではとっさに対応できない。そこに生ずる「指針の空白」を埋めようとするのが情報倫理である。</p>

<p>　現実世界とはまるで違う原理に基づくサイバー空間の登場で、これまで合理的だったり、有益だったりした生き方が変容を迫られている。古くからの伝統的倫理の多くはIT社会でもそのまま受け継がれるべきだが、それがいま急速にかつ大々的に失われ、一方で、サイバー空間のもつ特性がこれまでとは違う生き方を私たちに要請している。だからこそ現実世界とはまるで違うサイバー空間の特性を理解したうえで、これからの私たちの生き方を抜本的に考え直す情報倫理、「情報のデジタル化が引き起こす問題に有効に対応するための倫理」が必要だと思われる。</p>

<p>　法とルールの役割が重要なのはもちろんである。現に不正アクセス防止法、個人情報保護法、電子署名法などの法整備が行われているし、各種の団体や組織が自発的なルール（倫理綱領など）を定め、それぞれ効果を上げている。情報倫理は単独で機能するばかりでなく、法やルールを支えるものとしても重要である。</p>

<p>　サイバー空間（およびそれと密接に結びついた現実世界）はシームレスにつながっている。そこでは大人と子どもの区別すらもあいまいになっており、大人が築き上げた伝統を子どもに教えるといった時間的余裕も、すでにない。大人も子どもも同時に荒波に立ち向かわなくてはならない。先にも引用した応用倫理学の泰斗、加藤尚武は「自分で判断するときに、どうすればいいかという意思決定の予行演習（決議論）が倫理学の本質」（3）だと述べている。</p>

<p>　これからの処世訓（処方箋）を練り上げ、社会的合意にまで高めることが情報倫理の目的である。そして情報倫理教育は、なるべく早期に、しかも幼少期から実施すべきだと思われる。</p>

<p>＜注＞<br />
（1）宮台真司『日本の難点』（幻冬舎新書、2009年、P35）<br />
（2）井上ひさしの遺作となった小説『一週間』（2010年、新潮社）に「われわれ人間が生きて行くためには、世界がどんなふうにできているかという世界観と、世界がそんなふうにできているならこう生きようという処世訓が必要」（P338）とのくだりがある。思わず膝を打って、この比喩を借用した。<br />
（3）加藤尚武『応用倫理学のすすめ』（丸善ライブラリー、1994年、あとがき）<br />
</p>]]>
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<title>ソーシャルメディア⑥安易なつぶやきが他人と自分を脅かす（2011/11）</title>
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<modified>2011-11-28T05:05:56Z</modified>
<issued>2011-11-28T05:02:16Z</issued>
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<summary type="text/plain">　ツイッターの安易なつぶやきで他人のプライバシーがまき散らされ、そのことでメッセ...</summary>
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<name>yano</name>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　ツイッターの安易なつぶやきで他人のプライバシーがまき散らされ、そのことでメッセージを書いた当の本人も社会的制裁を受けるという、愚かともいたましいとも言える事件が2011年になって相次いだ。ソーシャルメディアの利用もまた低年齢化しつつある今、IT社会における初歩的な「リテラシー」教育がいよいよ不可欠になってきた。</p>]]>
<![CDATA[<p>相次いだ3つの事件</p>

<p>　まず事件の概要である。</p>

<p>　1月、都内のホテルのレストランでアルバイトをしていた女子大生が、来店した有名人の男女の名前やその行動をツイッターに書き込んだ。「○○と△△がご来店　△△まじ顔ちっちゃくて可愛かった……今夜は2人で泊まるらしいよ」（実際は実名）。<br />
　これがネット上で非難され、店名は特定され、女子大生の名前など個人情報も明かされた。ホテルは２人に謝罪し、女子大生は店をやめた。</p>

<p>　5月、スポーツ用品大手銀座店の20歳代の女性社員が、訪れた客のJリーグ選手とその夫人を見かけ、ツイッターで２人を中傷するような書き込みをした。これがやはりネット上で話題になり、店はサイト上に「同選手、ご家族をはじめ関係者の皆様およびお客様に多大なるご迷惑とご心配をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」との謝罪文を掲載した。女性社員は4月に新卒で採用されたが、実名も割り出されてしまい、まもなく退社した。わずか140文字のメッセージで就職したばかりの会社を棒にふったわけである。</p>

<p>　7月、ワールドカップで優勝した女子サッカー、なでしこジャパンのK選手が飲み会で発言した内容を、参加していた大学生がツイッターで中継した。K選手はなでしこジャパンや監督の裏話もしていたらしく、学生らが金メダルをかじっている写真も紹介された。これが騒ぎになったため、K選手は釈明とおわびの会見をした。学生の通う大学も「Kさんをはじめ関係方面にご迷惑をかけたことを、大学として深くお詫び申し上げます」と陳謝している。</p>

<p>公私の区別の感覚がない</p>

<p>　若者たちはなぜ身近で起こっている出来事を、何の考えもなく公共の場に引き出してしまうのだろうか。どう考えても、彼らには周りの私的空間とインターネットでつながる公共空間との区別がなく、両者がストレートにつながっている。若者たちは、「特定のユーザーに向けてはいないが、誰かの反応を期待して」とか、「誰に聞いてもらうつもりもなく、純粋に独り言として」ツイッターでつぶやいている（１）。</p>

<p>　3つの事件に共通するのは、これまでの重層的な社会構造を簡単につき破ってしまう新しい道具に対する警戒や、使い方への配慮の欠如である。メッセージを発信した若者たちはいずれもその後は無言で、謝罪したのはホテルであり、スポーツ店であり、発言を報じられたサッカー選手であり、学生が在籍していた大学だった（当事者たちは社会的制裁を受けたとも言えるが、反省しているのかどうかははっきりしない）。</p>

<p>　ソーシャルメディアの普及でだれもが簡単に情報発信できるようになった時代のリテラシーがいよいよ不可欠になっている。</p>

<p>　たとえば、夜道を歩いていて、若い女性が数人の男たちに囲まれている現場を目撃した時、持っているケータイで警察に通報するなり、ツイッターでつぶやいたりすれば、それはあるいは“美談”になるかもしれない。実際、以前紹介したように（本年1月号）、故人が最後に出かけた旅行で写真に収めた公園の場所を知りたいと家人がツイッターを通じて呼びかけたら、延べ1000人もの人がそれに応えて、1日にしてその場所が突き止められたというほほえましい話題もあった。それはまさに「ツイッターの勝利」でもあった。</p>

<p>使うべきか、使わざるべきか</p>

<p>　今回のメッセージが井戸端会議でしゃべられている分には、伝わる範囲も限られているし、しゃべった内容はすぐ忘れられるが、ツイッターのつぶやきが流れるサイバー空間はどこまでもつながっているし、情報はいつまでも記録される。</p>

<p>　現実世界においては、空間はそれなりに制約をもち、情報は遠方には伝わらないから、「人のうわさは七十五日」たてば忘れられたし、「旅の恥はかきすて」でもよかった。しかしサイバー空間には制約がないし、サイバー空間は忘れない。しかも、情報発信した「個」は即座に突き止められる。</p>

<p>　ツイッターは便利な道具だが、この場合は使っていい、ここでは使うべきではないという判断を瞬時に行うためには、ふだんからの心構えが不可欠である。道具の使用を法で規制したり、使用する際のルールを定めたりといった方法もないではないが、その瞬間において、使うべきか、使わざるべきかを判断するためには、IT社会のシステムへの理解と内面化された倫理の確立が必要である。それはどちらかというと、無意識で判断する能力である。その自律的精神がIT社会を豊かで安定したものにしていくのだと思われる。その能力が私の提唱するサイバーリテラシーであり、それにもとづいた情報倫理である。</p>

<p>　子どもたちがツイッターを利用するようになることを考えただけで、その重要性がわかるのではないだろうか。サイバー大学では、今年から「サイバーリテラシー概論」を全学共通必修科目に採用してくれたが、受講生の多くがその意義を認め、むしろもっと早くからこのような教育をすべきだと、たとえば「サイバーリテラシーはITを学ぶ者だけが学ぶのではなく、義務教育の一環として学ぶ必要がある。人間としての魂を持つような仕組みづくりとしての幼児～児童教育が重要なのではないか」、「自由な空間を生かすも殺すも自分次第。基本的には、人に迷惑をかけないこと、自分に降りかかるかもしれない不利益には自らが予め対処しておくこと、人はそれぞれであり、皆違っていいんだということを理解することが必要だと思う」などと感想を述べてくれている。</p>

<p>＜注＞<br />
（1）アスキー総合研究所の調査（2009年暮れ実施）。<br />
</p>]]>
</content>
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<title>ソーシャルメディア⑤「神出鬼没」の若者達がアラブ政権覆す（2011/10）</title>
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<modified>2011-11-28T05:02:11Z</modified>
<issued>2011-11-28T04:57:25Z</issued>
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<created>2011-11-28T04:57:25Z</created>
<summary type="text/plain">　ソーシャルメディアは否応なく政治の道具になった。2011年になって立て続けに崩...</summary>
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<name>yano</name>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　ソーシャルメディアは否応なく政治の道具になった。2011年になって立て続けに崩壊したチュニジア、エジプト、リビアの独裁政権。これらの政変にツイッター、フェイスブック、ユーチューブなどのソーシャルメディアが果たした役割は決して小さくない。</p>]]>
<![CDATA[<p>　チュニジアでは23年に及んだベン・アリ政権が2011年1月に崩壊した。30年間もエジプトを支配したムバラク大統領が辞任したのは同年２月である。リビアのカダフィ政権は9月に崩壊、40年余の独裁体制に幕を下ろした。新政権作りをめざす国民評議会は18日、東部の拠点都市ベンガジで、暫定政府発足へ向けての協議を始めた。</p>

<p>「ジャスミン革命」という言葉</p>

<p>　一連のアラブ独裁政権崩壊をめぐり、若者や一般民衆がソーシャルメディアを活用して反政府運動を展開したことで、これらの動きは、チェニジアの代表的な花にちなんで「ジャスミン革命」と呼ばれることがある。あるいは「フェイスブック革命」とも、「ツイッター革命」とも。</p>

<p>　アラブ革命を引き起こしたのは、何よりも長期独裁政権の腐敗であり、強圧政治であり、失業率の高さであり、厳しい言論統制だった。長い間に散発的な抗議行動も行われてきたが、封殺されてきたのである。だから今回の動きを「ソーシャルメディア革命」といったように、メディアで象徴させることには批判もある。</p>

<p>　実際、ヒットラーの政権獲得を「ラジオ革命」とは言わないし、ベルリンの壁崩壊が「テレビ革命」と呼ばれたこともない。「衛星テレビ革命」といった言葉も聞かない。革命は根深い政治的、社会的背景の中で起こるもので、ソーシャルメディアは有効なコミュニケーションツールとして利用されたにすぎないとも言えよう。</p>

<p>　しかし今回、圧政下で徹底的なメディア規制が敷かれているなかで、これだけ短期間にしかも広範囲に反政府デモが組織され、そこに多くの一般民衆が参加したことをソーシャルメディア抜きに語ることも難しい。</p>

<p>チュニジアとエジプト</p>

<p>　チュニジアの政権崩壊の発端は、2010年12月17日、南部の都市、シディブジッドの県庁舎前で26歳の青年が焼身自殺を図って病院に収容されたことである（後に死亡）。彼は、30％を超える失業率のなか定職につけず、露天商をしながら家族を支えていたが、警察から不合理な摘発を受けて商売道具を没収された。返却を申し出ても聞き入れられず、抗議の自殺を図ったのである。現場にいた人びとが抗議し警官と衝突したが、その状況は主要メディアで報じられず、人びとが現場で撮影した写真や画像がフェイスブックやユーチューブにアップされた。フェイスブックには事件に抗議するグループのページもでき、わずか1日で2500人が参加するほどになった。反政府デモの動きが衛星テレビ局、アルジャジーラで報道されるなどの経過を経て、政権への抗議行動はしだいに規模を拡大、警官との衝突で死者も出て、12月中にチェニジア国内の主要都市約20か所に及んだ。最終的には軍部も政権から離反、ベン・アリ大統領は青年の自殺からわずか4週間後の1月14日、サウジアラビアに脱出した。</p>

<p>　同じ1月にエジプトでは、カイロ市中心部に市民1万人が参加して民主化デモを行っている。前年6月に警察官の暴行を受けて死亡した28歳の青年を悼むページをフェイスブック上に立ち上げた若者が呼びかけたものだった。デモでは死者も出たが、独裁政権崩壊を叫ぶ反政府運動はその後、燎原の火のごとくエジプト全土に広まった。</p>

<p>　デモを呼びかけた若者はグーグルのドバイ駐在員だったが、帰国するところを逮捕されている。2月7日に釈放され、記者会見して「自分は安全な場所からキーボードを叩いただけ。英雄は街頭にいるあなたたちだ」と泣きながらに語ったが、これがユーチューブに転載され、さらに多くの人びとの共感を呼び、フェイスブックには彼を支持する新たなページも作られた。反政府運動はさらに盛り上がり、彼は期せずしてエジプト革命の英雄になった（その後グーグルをやめてエジプトでNPO法人を立ち上げている）。ムバラク大統領は2月11日に辞任した。</p>

<p>多人数の神出鬼没の活動</p>

<p>　ソーシャルメディアがなければ、これだけ短期間にしかも大がかりなデモが組織されるのは難しかっただろう。きっかけになった出来事も、それを広めたのも、職業的革命家や政党が関与したものというよりも、ごく普通の若者たちの行動だった。</p>

<p>　チュニジア民衆の不満爆発の引き金がウィキリークスが暴露した外交公電だったというのも興味深い。公電によれば、米国チュニジア大使は2009年7月の時点で「ベン･アリ政権は国民の信頼を完全に失っている」と述べている。政権の腐敗ぶりが公然と語られており、この英語の文書をアラビア語やフランス語に翻訳してフェイスブックに掲載、さらに多くの人の関心を引き起こした人もいた。</p>

<p>　政権側もブログなどのサイトを閉鎖したり、ブロッガーを逮捕したり、インターネット･アカウントを停止したりしたが、若者たちは規制以上にソーシャルメディアをたくみに使いこなした。デモ隊が政府批判のスローガンを叫びながら警察と衝突する動画をユーチューブにアップ、それが遮断されると、フェイスブックやツイッターを通じて情報交換を行い、デモの組織化を行った。既存ジャーナリズムが機能しない部分をソーシャルメディアがカバーしたのみならず、その神出鬼没の活動で政権側を翻弄した。</p>

<p>　ソーシャルメディアが新しい政治の道具になったのは間違いない。もっとも、リビアの政権崩壊とソーシャルメディアの関係はあまり報道されていない。中国では2月に民主化を求める茉莉花革命が中国版ツイッターなどで呼びかけられ、一部に多くの人びとが集まったが、当局によって制圧されている。イギリスでは8月のロンドン暴動をソーシャルメディアで扇動した容疑で3人の男が逮捕されたり、英首相がこれを規制する可能性に言及したりしている。</p>

<p>「ジャスミン革命」と、メディアを前面に出した言葉が語られること自体がソーシャルメディアの新しい力を浮き彫りにしている。ソーシャルメディアはいよいよ政治の舞台に登場しつつあるとも言えよう。</p>

<p>＜追記＞カダフィ大佐は2011年10月20日、反カダフィ勢力との抗争で殺害された。<br />
</p>]]>
</content>
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<title>ソーシャルメディア④ウィキリークスと情報発信に伴う責任（2011/9）</title>
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<modified>2011-11-28T04:56:43Z</modified>
<issued>2011-10-03T05:54:42Z</issued>
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<summary type="text/plain">　3回にわたってソーシャルメディアの話題を追ってきた。これら電子メディア群のうち...</summary>
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<email>yano@cyber-literacy.com</email>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　3回にわたってソーシャルメディアの話題を追ってきた。これら電子メディア群のうち何が今後も生き残っていくかはそれ自体興味深いテーマだが、本連載ではなお数回、ソーシャルメディアの現状と課題について取り上げる。</p>]]>
<![CDATA[<p>　ソーシャルメディアというのは、一般にブログ、ツイッター、フェイスブック、ミクシィ、ユーチューブ、ニコニコ動画、ウィキペディア、ウィキリークスなど多種多彩な電子メディア群のことである。それはWeb2.0で輩出したUGC（User Generated Content）であり、CGM（Consumer Generated Media）であり、日本風に言えば、「消費者生成メディア」である。</p>

<p>　私はマスメディアとパーソナルメディアが錯綜する現下のメディア状況を<a href="http://www.cyber-literacy.com/ja/about/index.html">「総メディア社会」</a>と呼んできたが、ソーシャルメディアはパーソナルメディアの発展した姿と捉えることができる。とくにツイッターとフェイスブックは、マスメディアをも包含した「総メディア社会」全体の基幹インフラの位置を占めはじめている。</p>

<p>　ソーシャルメディアは、日本では東日本大震災を契機に話題になったけれど、世界的にはチュニジア、エジプト、リビアなどの「アラブ革命」を惹起し、それを短期間に拡大させ、成功させたメディアとして大きな脚光を浴びた。英語版ウィキペディアの「ソーシャルメディア」の項には、カイロの活動家の「われわれはフェイスブックで抗議行動を立案し、ツイッターで組織化し、ユーチューブでその事実を世界に伝えた」という発言が紹介されている（1）</p>

<p>　今回は、アラブ革命にも影響を与え、既存メディア地図を大きく塗り替えたウィキリークス（Wikileaks）を通して、情報の編集ということについて考えてみよう。</p>

<p>マスメディアとの協同作業</p>

<p>　ウィキリークスはグローバルな内部告発サイトで、2010年に公開したイラク戦争やアフガニスタン戦争の内部資料暴露で国際的な「事件」になった。</p>

<p> 　2010/4　イラクの米軍ヘリが通信社記者らを射殺した動画（collateral murder） <br />
　　 同/7　アフガニスタン戦争に関する情報（Afghan War Diary）7万件以上 <br />
　　同/10　イラク戦争の米軍機密情報（Iraq War Logs）約40万件 <br />
　　同/11　米外交公電約25万件の一部 </p>

<p>　量の膨大さがまず驚きである。ニューヨーク･タイムズの調査報道（1971年）として有名なベトナム秘密文書は約7000ページ。これをニューヨーク･タイムズに持ち込んだ内部告発者、ダニエル･エルズバークは「膨大」な書類をせっせとコピー機でコピーしたが、イラク･バクダッド郊外での米軍用ヘリの殺傷ビデオ、イラク戦争関連資料、米外交公電などのデジタルデータ量は「ケタ外れ」に大きく、しかもそのすべてがブラッドリー･マニングという当時22歳だった米技術兵によってリークされた。彼は軍のネットワークにアクセスして、レイディガガの曲を鼻歌まじりに口ずさみながら、データをCD-ROMコピー、それを匿名ネットワークによってウィキリークスに送った。まさにデジタル情報時代ならではの出来事である。</p>

<p>　これらの情報入手はウィキリークスによって予告され、段階的に公開されたが、その作業が既存マスメディアとの協力のもとに行われたことは特筆に値する。</p>

<p>　ウィキリークスの創設者、ジュリアン･アサンジは元ハッカーで、情報は基本的に秘密にされるべきではない、情報はすべて善であるとの考えの持ち主だったが、公開情報の中に一般人のプライバシーを侵害したり、名前が公表されることで関係者の身に危害が及ぶケースがあり、この点を人権擁護団体なから批判されている。ウィキリークス単独で公表しても反響が小さかったこともあり、アサンジはマスメディアとの共闘を考えるようになった。</p>

<p>　一方マスメディアの方も、特ダネ情報を入手するためにウィキリークスに接触をはか<br />
る。その代表がイギリスの新聞、ガーディアンとドイツの週刊誌、シュピーゲルで、他のメディアも含む大手メディア群とウィキリークスの間で共同プロジェクトが作られた。その経緯はガーディアン特命取材チームが書いた『ウィキリークス アサンジの戦争』（2）に詳しい。それは、従来のメディアにほとんど無知のハッカー、アサンジと既存メディアの編集倫理のせめぎあいの物語でもある。「もしも、この文書が公開されれば、情報提供者も近親者もタリバンに処刑されるかもしれない。だが、アサンジは『気にもかけなかった』」というガーディアン記者の感慨も紹介されている。</p>

<p>　興味をお持ちの方には一読をおすすめするが、ここで指摘したいのは、情報を公開しようとすれば、どうしても一定の編集をせざるを得ないということである。</p>

<p>情報発信者の責任</p>

<p>　マスメディアの時代には、マスメディアが編集権を持ち、また結果に対する責任を負っていた（これを私は「編集メディア」と呼んできた）。しかしブログなどは、個人が基本的に何でも書ける「無編集メディア」である。だから誤りや思い違いも含まれる。公開後にそれを見た人びとによって修正されたり、あるいは反論されたり、場合によっては攻撃されるといった報復によって、何らかの編集が行われることもある。だからソーシャルメディアは「相互編集メディア」でもあるが、万人が情報発信できるメディアをもった現在、情報発信を行う出発点において、何を公開し、何は公開しないかを決断する責任が個人一人ひとりに委ねられる。</p>

<p>　ウィキリークスとは規模が違うけれど、情報発信にともなう責任のあり方は同じである。</p>

<p>　ウィキリークスのナンバー2だったドイツ人プログラマー、ダニエル･ドムシャイト‐ベルクはのちにアサンジと決別、2011年に新しい内部告発サイト、オープンリークス（Openleaks）を開設している。運営をより民主的に行うと同時に、オープンリークスを内部告発の受け皿に限定、内部告発者自身が公開メディアを選べるとしている。この場合においては、オープンリークスはいっさいの編集にタッチしないから、いよいよ情報提供者の責任が大きくなると言えるだろう。</p>

<p>＜注＞<br />
（1）Wikipedia 2011.6.8確認<br />
（2）ガーディアン特命取材チーム『ウィキリークス アサンジの戦争』（講談社、2011）。ウィキリークス関連では、ダニエル･ドムシャイト‐ベルク『ウィキリークスの内幕』（文藝春秋、2011）、マルセル・ローゼンバッハ/ボルガー・シュタルク『全貌ウィキリークス』（早川書房、2011）も興味深い。最後に紹介したのはドイツの週刊誌・シュピーゲルの編集者によるもので、骨格のしっかりした本である。</p>]]>
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<title>ソーシャルメディア③サイバー空間に徐々に広がる実名発信（2011/8）</title>
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<modified>2011-11-28T04:56:19Z</modified>
<issued>2011-08-30T07:30:55Z</issued>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　前回、サイバー空間における生身の「人」の役割に注目したが、これは、インターネット上の情報発信が実名で行われているからである。もちろん今でも匿名発信は多く、それはそれで意味もあり、他方では大きな問題も抱えているけれども、ツイッター、フェイスブックといったソーシャルメディアは、サイバー空間における情報発信を匿名から実名へとシフトさせつつあると言えそうである。</p>]]>
<![CDATA[<p>　匿名で情報発信できるところにインターネットの良さがあるのはたしかだが、その匿名を隠れ蓑にして、自分の身を安全な場所に確保したうえで他人を容赦なく攻撃するやり方も後を絶たない。より積極的ないじめ、名誉毀損、犯罪的行為などが社会問題になることも多い。</p>

<p>「アイデンティティは一つ」</p>

<p>　また日本においては、もともと自ら名乗って自説を開陳することに対する抵抗も強く、実名による情報発信は、IT関係者、学者、ジャーナリスト、起業家、政治家といった、実名発信に意味を求められる一部の専門家を別にすると、決して多くはなかった（1）。</p>

<p>　匿名発信か実名発信かは、インターネット普及以来、時に応じて、あるいは「ブログ炎上」などの事件が起こるたびに議論されてきた。匿名を批判する側は「匿名で他人を攻撃するのは卑怯である」と言い、それを擁護する側は「実名を唱えるのは強者の論理で、いつ攻撃されるかわからないネットにおいて実名で発言するのは危険である」と反論するのが通例だったが、ここへきて、発言に対する責任のとり方といった文脈ではなく、サイバー空間においても実名を使った方が自然だし、実際に便利である、といった風潮が出てきた。</p>

<p>　実名主義と言えばフェイスブックで、すでに世界で６億人のユーザーを獲得しているが、その創始者、マーク･ザッカーバーグは、たとえばハンドルネームを使うことに対して「二つのアイデンティティを持つのは、人間として完全とは言えない」といったふうな発言をしている。サイバー空間でも現実世界でも同じ個性（アイデンティティ）をもって生きるべきだという宣言である。</p>

<p>　ソーシャルメディアの発達で、そう考える人、そういう意見に共感する人たちが増えているように思われる。</p>

<p>実名ブログは就活に便利</p>

<p>　リクルートの就活サイト、「リクナビ」は2010年秋からフェイスブックと連係し、フェイスブックのアプリケーション「コネクション･サーチ」を使えるようにした。たとえば自分が通っている学校や志望業界を登録すると、同じ業界を目指す仲間や、志望業界に内定している先輩、志望業界で働く仲間を探せる。就職活動を一人でやるのではなく仲間、先輩などと情報交換しながらよりオープンに行おうという試みである。</p>

<p>　また、はてな代表取締役、近藤淳也は2005年の段階で「ブログはインターネット上の人格みたいなもので、履歴書と言う実社会の人格を表す書類と同時に、ブログというインターネット社会の中での人格が無いと、なかなかその人を判断できないのではないかと気付いたのです。最近は、応募者のブログを何か月分も読んで採用の判断を行うことが増えています。インターネット企業に限らず、採用の際に自分のブログの提出が必要な企業がこれから増えてくるかもしれません」と書いている（2）。</p>

<p>　これを受けてプログラマーの中島聡も、就職活動を有利にするために「できれば実名でブログを書く」ことを推奨、「ビジネスの世界では既にブログが名刺代わりになり始めている」と付記している（3）。彼によれば、アメリカでも（当然）事情は同じで、米紙ウオールストリートジャーナルが「ブログは新しい職業を見つけるのに役立つ（How Blogging on the Web Can Help you Get a NewJob）」という特集をしたこともあるらしい。</p>

<p>　企業のマーケティング担当者にとって実名情報がありがたいのはもちろんで、ソーシャルメディアのマーケティング活用に詳しい徳力基彦は、「今まではペンネームだったため、ネット上の発言はオタクでよくわからないやつの発言だから無視して良いというのが経営層のイメージだったと思いますが、実名になった瞬間、この人はうちの会社に何万円落としている人だというのがわかったり、クレームをつけてきた人が優良顧客だったということになれば、対応がまったく変わるはずです」と述べている（4）。</p>

<p>グーグルからフェイスブックへ</p>

<p>　ウエブ2.0が、ネットワーク万能時代への推移という意味で、「マイクロソフトからグーグルへ」とも形容される変化だったとすれば、今回のトレンド変化は、「グーグルからフェイスブックへ」と言っていいかもしれない。コンピュータ･アルゴリズムの力技で世界の全情報を収集、検索（機械的に処理）しようとするグーグルに対して、フェイスブックは、生身の人間のコミュニケーションを重視しているからである。グーグルが最近、SNSサービス（グーグルプラス）に乗り出したのも象徴的である。</p>

<p>　ツイッターは実名、匿名両様だが、実名ツイートの力が大きくなっているのは前回、紹介した通りである。ツイッターでのツイート（発言）やフォロアー数、他人の発言をリツイートした回数、発言へのアクセス、発言に言及された回数などを指標に、その人のサイバー空間における影響度を1から100までの数字で示す「クラウトスコア」というサービスも登場している（5）。ツイッターだけでなく、フェイスブックでの情報発信の成果も加味できるようになっており、当然、レイディガガ、孫正義、オバマ大統領などのクラウト数はたいへん高い。</p>

<p>　もちろん完全な匿名を保証したグローバルな内部告発サイト･ウィキリークス、サイバー攻撃を繰り返す集団「アノニマス（匿名という意味）」など、サイバー空間における匿名の比重は依然として大きい。しかし、匿名、実名のあり方も含めて、サイバー空間の様相が急速に変わりつつあるのはたしかである。</p>

<p>＜注＞<br />
（１）総務省情報通信政策研究所が2007年2月に行ったウエブ･アンケート「インターネットと匿名性」（有効回答数1000人）によれば、ブログやSNSの利用に関して、実名で公開していると答えたのはわずか2.5％だった（ハンドルネームでの公開が52.5％）。ブログ発信そのものがまだ少なかったけれど、ほとんどが匿名、ないしはハンドル名だった。<br />
（2）http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20051215/1134601112<br />
（3）中島聡『エンジニアとしての生き方』（インプレスジャパン、2011）<br />
（4）対談･徳力基彦×藤田明久「ソーシャルメディアとこれからのマーケティング･コミュニケーション」（電通『アド･スタディーズ』2011春、所収）<br />
（5）http://klout.com/<br />
</p>]]>
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<title>ソーシャルメディア②サイバー空間の情報を仲介する生身の「人」（2011/7）</title>
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<modified>2011-11-28T04:55:23Z</modified>
<issued>2011-07-18T08:48:24Z</issued>
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<summary type="text/plain">　前回紹介したソーシャルメディアの爆発的普及は、これからの社会をさらに大きく変え...</summary>
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<![CDATA[<p>　前回紹介したソーシャルメディアの爆発的普及は、これからの社会をさらに大きく変えるだろうが、そこでは、サイバー空間の情報を仲介する生身の人間の存在がクローズアップされることになる。</p>]]>
<![CDATA[<p>　かつて情報はマスメディアを通して一方的に、別の表現を使えば、整然と流れていた。責任の所在もそれなりに明らかだったと言えよう。ソーシャルメディアは一人ひとりが自由に発信できるツールだから、情報の流れは錯綜せざるをえないが、実際には、その流れはそれほどばらばらでも、アナーキーでもないようである。</p>

<p>リツイートで情報を拡散</p>

<p>　東日本大震災時におけるメディアの利用実態を精力的に追跡して、「日本のメディアが変わった10日間」（1）というすぐれたレポートをウエブで公開した小林弘人は、「地震発生後、痛ましいニュースがツイッター上でも多く流れたが、同時に多くのフォロワーをもつツイッタラー、ブロガーたちが緊急性の高いニュースを継続的に配信し、情報のハブとなって活動し続けた」、「平時には既存メディアから負のイメージばかり強調されることもあったオンライン･メディアが、ここにきてひとつにまとまり、その威力を発揮しつつ、存在感をこれまでと違ったやり方で示したことの意味は大きい」と述べている。</p>

<p>　また同レポートは、堀江貴文ライブドア元社長（ホリエモン）が、緊急性の高いツイートをほぼ24時間態勢でリツイート（ふたたびツイート）し、フォロアー数の多い自身のアカウントで情報を拡散させた話を紹介している。さまざまなツイートを取捨選択して、多くの人に知らせた方がいいと考えるものを、自分の責任で再発信したわけである。</p>

<p>　ネットワーク上では、「情報のハブ（hub＝ネットワークの中継拠点）」とか「インフルエンサー（influencer=影響を与える人）」、さらには「キュレーター（curator=図書館の学芸員のような専門ガイド）」などと呼ばれるようになった人たちが、あふれる情報に一定の道筋をつけたわけである。</p>

<p>ビンラディン殺害ツイート</p>

<p>　インターネット上の情報仲介について、アメリカで興味深い調査結果がある。</p>

<p>　ホワイトハウスは5月1日（日曜日）午後9時45分（アメリカ東部時間）、同夜10時30分に大統領発表を行うことをツイッターでメディア関係者に知らせた。実際にオバマ大統領が会見し、ビンラディン殺害を発表したのは予定より１時間後の11時35分だったが、その間に多くのアメリカ人はすでにこのニュースを知り、大統領発表時にはホワイトハウス前やマディソンスクエアガーデンに歓喜の民衆が集まり、勝利の祝杯をあげていた。</p>

<p>　この情報伝達の立ち役者もツイッターだった。</p>

<p>　ニューヨークタイムズのブライアン・ステラー記者が書いた「ビンラディン殺害ニュースはどうリークされたか」という記事（2）によると、予告連絡を受けた新聞やテレビのリポーターが、ビンラディンがらみの発表ではないかと情報を模索していた10時25分、前国防長官ラムズフェルトの主席補佐官、キース・アーバーンが「たしかな筋の情報によるとビンラディンは殺害された」というツイートをした。ほどなくして国防総省やホワイトハウス筋からもリークが行われ、10時45分ごろABC、CBS、NBCなどが番組を中断してこれを報じた。米大統領発表は、すっかり気の抜けたビールになっていたのである。</p>

<p>　ソーシャルメディア調査会社のソーシャルフロウ（SocialFlow）は、アーバーンのツイートが多くの人にリツイートされて、メインストリームメディア（大手メディア）を出し抜いて全世界に流布したことに注目した。大統領発表の事前予告から実際に発表が行われるまでの間の1500万近いツイートを分析して、アーバーンのメッセージがユーザーにどのように伝達されたかを分析し、それをビジュアル化してウエブで公開している（3）。</p>

<p>　図を見ると、情報の流れが二つの渦をつくっている。上にあるのがアーバーンのもので、彼のツイートが多くの人にフォローされているのがわかる。興味深いのはむしろ下の渦で、これは先のニューヨークタイムズ記者、ステラーが「アーバーンがビンラディンが殺害されたとツイートしている」とリツイートした情報が多くの人にフォローされたことを示している。ニューヨークタイムズ記者であるという人物への信頼と、彼のふだんのフォロアー数の多さ（5万人以上、因みにアーバーンの当初のフォロアー数は1000人程度）がアーバーンの情報を急速に拡散させることに大きく貢献したことを示している。ステラーはビンラディン殺害ツイートの情報のハブの役割を果たした。</p>

<p>変わるサイバー空間のあり方</p>

<p>　サイバー空間の情報もやみくもに広がるだけでなく、現実世界における人間の信頼性やその行動が、大きな影響を与えるということである。私は、マスメディアは「編集メディア（責任者が編集している）」、パーソナルメディアは「無編集メディア（個人の自由に書かれる）」というふうに区別しているが、ソーシャルメディアは「相互編集メディア」である、と言ってもいい。</p>

<p>　もちろん、悪意ある情報やデマ・流言も流れるけれども、ソーシャルメディア全体としては、お互いに誤りを正したり、情報の流れを整える配慮が行われたりしている。サイバー空間における生身の「人」の役割が再浮上していることに注目したい。しかも、情報仲介者の役割や責任もまた大きくなるだろう。<br />
 　<br />
＜注＞<br />
（1）「現代ビジネス」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2308<br />
（2）http://mediadecoder.blogs.nytimes.com/2011/05/01/how-the-osama-announcement-　leaked-out/<br />
（3）http://blog.socialflow.com/<br />
</p>]]>
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<title>メインストリームに躍り出たソーシャルメディア（2011/6）</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.cyber-literacy.com/blog/archives/2011/07/20116.html" />
<modified>2011-07-18T08:48:03Z</modified>
<issued>2011-07-18T08:38:00Z</issued>
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<summary type="text/plain">　ツイッター、フェイスブック、ユーチューブなど、私が「パーソナルメディア」と呼ん...</summary>
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<![CDATA[<p>　ツイッター、フェイスブック、ユーチューブなど、私が「パーソナルメディア」と呼んできたインターネット上の電子メディアは、最近では「ソーシャルメディア」と呼ばれることが多い。その驚異的躍進は世界共通の現象で、今や「マスメディア」に代わる情報流通のメインストリームになりつつある。日本の場合は、東日本大震災を機に一段とその傾向が強まっている。</p>]]>
<![CDATA[<p>　AFP通信によれば、ユニークな活動で知られる米歌手、レディー･ガガのツイッターのフォロアー数が5月に1000万人を突破したという（1）。同ニュースによれば、フォロアー数が1000万人を突破したのは初めてで、2位はカナダ出身の歌手、ジャスティン･ビーバー（970万人）、3位がオバマ大統領（802万人）だという。</p>

<p>フォロアーが1000万人</p>

<p>　一人の人間のメッセージを世界の1000万人がほぼ同時に目にするというような事態は歴史始まって以来だろう。そのメッセージにはすぐ反応が書き込まれたり、受け手によってリツイート（再ツイート）されたりして、さらに世界に広がっていく。</p>

<p>　別の日の同ニュースによれば、ガガは米経済誌フォーブスの2011年度の「世界で一番影響力のあるセレブ」（2）にも選ばれている。フォーブス誌は「ガガが第一になった理由は、彼女が年間9000万ドル（約73億円）を稼いだだけではなく、フェイスブックで3200万人のファンを持ち、ツイッターのフォロアー数が1000万人に達するという驚くべき人気によるものだ」と書いている。</p>

<p>　現在、ツイッターの利用者は全世界で1億5000万人とも言われる。フェイスブックは実名主義のSNSとして2004年に開設されて以来、急速に世界に普及し、その会員は6億人。2010年にはフェイスブックを描いた映画「ソーシャル･ネットワーク」も公開された。ガガはそのフェイスブックで3200万人のファンを持っているわけである。</p>

<p>　今では多くのサイトがツイッターやフェイスブックにリンクを張っているから、ツイッターやフェイスブックは巨大な情報インフラになっており、その情報インフラを使った新たなサービスを展開している人も多い。</p>

<p>　動画サイトとしてのユーチューブを知らない人はもはや少ないだろう。ツイッターのフォロアー数2位のジャスティン･ビーバーは1994年生まれ、17歳のポップ歌手で、ユーチューブに投稿した演奏が評判になって一躍トップスターになった。震災時においても、多くの人が地震や津波の動画を投稿したばかりでなく、専門家が福島原発をめぐる危険な状況を解説したりした。</p>

<p>大震災を機に躍進</p>

<p>　4月18日に更新された2011年3月度のニールセン調査を紹介した<a href="http://blogs.itmedia.co.jp/saito/2011/04/mixi-twitter-fa-0f8b.html">斉藤徹のブログ</a>によると、今回の震災を機にソーシャルメディアの活用が劇的に増加した。ミクシィ、ツイッター、フェイスブックのパソコンからのアクセスデータは、ミクシィ1321万人、ツイッター1757万人、フェイスブック766万人で、それぞれ前月比で124％、137％、127％の増加となっている。</p>

<p>　ケータイによるアクセスは含まれていないが、東日本大震災がソーシャルメディア躍進を促したのは間違いない（同ブログによれば、4月のニールセン調査では、3媒体とも前月比90％前後と減っているから、3月だけの特殊事情もあったようだ）。</p>

<p>　日本最王手のSNS、ミクシィが出たので、ゲーム中心の交流サイトにふれておくと、ミクシィ、ディー･エヌ･エー、グリーの3社の会員数は3月末で合計7557万人、前年同期比で34％増となっている（3）。ゲーム交流サイトも、大きな意味ではソーシャルメディアである。</p>

<p>マスメディアは退潮</p>

<p>　かつて新聞は戦争や大災害になると部数を伸ばすと言われた。実際、まだテレビもなかった関東大震災（1923年）では、翌年に大阪朝日新聞（現朝日新聞）が100万部を突、大新聞への飛躍を果たしている。今回の大震災ではどうだったか。日本ABC協会が発表した4月の販売部数によると（4）、読売新聞は995万部で17年ぶりに部数1000万部を割り込み、朝日新聞は770万部で前月比16万部の減少である。新聞全体では100万部減ったという。</p>

<p>　ここにも、マスメディアからソーシャルメディアへと大きく比重を移しつつあるメディア状況が反映されている。もっとも、これで既存マスメディアの役割が急速に減少しているかというと、そうではない。</p>

<p>　たとえば野村総合研究所が3月29日に発表した「震災に伴うメディアの接触動向に関する調査」（5）によると、「震災に関する情報提供で重視しているメディア･情報源」（複数回答）は、以下のようになっている。</p>

<p>　テレビ（NHK）			80.5（%）<br />
　テレビ（民放）		   	56.9<br />
　インターネットのポータルサイト	43.2<br />
　新聞					36.3<br />
　インターネットの政府･自治体情報	23.1<br />
　インターネットの新聞社の情報		18.6<br />
　ソーシャルメディア			18.3</p>

<p>　テレビが突出しており、ソーシャルメディアへの信頼度はなお低い。無責任なデマ情報に対する警戒も含まれているだろうが、安否確認やボランティア情報伝達などでソーシャルメディアが果たした役割は大きかった。その一端は前々回にも紹介したけれど、震災時に限らず、これからはツイッターやフェイスブックなどの巨大情報インフラのまわりにすべてのメディアが集まって、新しいメディア環境が成立していくだろう。</p>

<p>　私が『総メディア社会とジャーナリズム』（知泉書館、2009年）で描いた「総メディア社会の進展図」の二つの楕円を支えているのが、いまやツイッターとフェイスブックだということである。</p>

<p>＜注＞<br />
（１）http://www.afpbb.com/article/entertainment/entertainment-others/2800418/<br />
7225460。日本で最高の部数を誇る読売新聞がほぼ1000万部である。<br />
（2）http://www.afpbb.com/article/entertainment/fashion/2801278/7235672<br />
（3）日本経済新聞５月11日付朝刊<br />
（4）http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110519/ent11051901080001-n1.htm<br />
（5）http://www.nri.co.jp/news/2011/110329.html<br />
 </p>]]>
</content>
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<title>個人の生き方がそのままシステムにはね返る</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.cyber-literacy.com/blog/archives/2011/06/post_40.html" />
<modified>2011-06-01T13:37:12Z</modified>
<issued>2011-06-01T13:13:39Z</issued>
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<created>2011-06-01T13:13:39Z</created>
<summary type="text/plain">　＜以下の文章は、情報システム学会メールマガジン（2011.5.25、No.06...</summary>
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<dc:subject>スクラップ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　＜以下の文章は、情報システム学会メールマガジン（2011.5.25、No.06-02）のコラム「システムの肥大と人間の想像力⑥」の主要部分を編集部の了解を得て転載したものです。前回の続編なので、この回もアップしておきます＞</p>]]>
<![CDATA[<p>　今回の東京電力福島第一原子力発電所の事故であらためて痛感したのは、原発に賛成するにしろ反対するにしろ、事故が起これば平等に放射能（放射線）が降ってくる、ということだった。国土の狭い日本にいつの間にか54基もの原発ができていた事実に無知、あるいは無関心だったことへの反省もあった。前回、アメリカの経済学者、ジョン･ガルブレイスのinnocent fraud（悪意なき欺瞞）という言葉を借りて表現したかったのはそのことだが、同じような思いを抱いた人は多かったようだ。</p>

<p>　朝日新聞5月17日付朝刊の「時事小言」というコラムで、国際政治学者の藤原帰一は「コンスピラシー・オブ・サイレンス、暗黙の陰謀という英語表現がある。目前の状況から目を背け、不正の横行や危険の拡大を見逃してしまう。原発事故を前にして感じたのは、それだった。原子力発電の危険性から目を背けてきたという、砂を噛むような思いである」と書いている。</p>

<p>　広島、長崎への原爆投下で幕が開いた戦後日本は、というより、戦後の世界史は、一方で原爆実験、水爆実験、核軍縮、反核といった兵器（軍事技術）としての核をめぐる動き、他方における原子力の平和利用、” 夢のエネルギー”としての原発開発で彩られてきた。</p>

<p>　実際、事故前の昨年6月に改定されたエネルギー基本計画では、2030年までに原発14基以上を増設、発電量の50％を原発でまかなうとされ、同時にそのことで二酸化炭素排出量の大幅削減をめざす地球温暖化対策の切り札ともしていたのである。</p>

<p>　原発に反対する運動や事故の危険性を警告する声ももちろんあったが、潤沢な交付金や優遇税制、補助金事業、安定した就職口、大がかりなキャンペーンなどを用意した国をあげての原発推進策のもとに、過疎地復興をかけた道路、新幹線、公共工事並みの誘致合戦が恒常化し、原発の危険性への一般の関心はきわめて低かった、あるいはしだいに薄れていった。今回の地震･津波による事故で「安全神話」は崩れたが、それ以上に、これまでの原発推進計画のありよう、というより瑕疵が明るみに出たと言えよう。</p>

<p>　東日本大震災を二つの歴史的文脈において考えてみよう。</p>

<p>①明治維新―敗戦―東日本大震災<br />
②関東大震災―阪神淡路大震災―東日本大震災</p>

<p>　念頭にあるのは、①は「外圧」をきっかけとする世代交代、構造改革であり、②は危機における人びとの生き方、国土の再生である。それはゼロからの出発だと思われる（ここでは話を原発に限る）。</p>

<p>　事故を引き起こした東京電力の責任をどう追及するのか。そもそも現在の電力需給システムはこのままでいいのか。再生エネルギーを安定的に供給する技術開発はほんとうに不可能なのか─そういったことを国民一人ひとりが改めて考え直すことを問われている。</p>

<p>　日本における原発推進の意思決定システム、利権としての原発論議、反対するものを排除していく（押しつぶしていく）仕組み、また反対はしたが、あるいは反対だからこそ原発の具体的な安全論議に踏み込めなかった反対陣営、ゼロから出発するということは、こういった社会構造の改変に切り込んでいくことである。<br />
　<br />
　河野太郎衆議院議員が動画サイトで語っていたが（1）、自民党関係のエネルギー調査会などでの原発論議はもっぱら誘致に重点が置かれ（原発立地地区の議員だけが集まっていた）、安全論議などはほとんど行われず、原理原則的な意見を述べると、「仲間でやっていることにそんな（かたい）ことを言うな」、「将来ある身なんだから（言動は）慎重にするように」、「異論はあるだろうが委員長預かりということにしよう（結局は賛成可決）」などとまともに取り上げられなかったらしい。挙句の果ては「原発に反対する河野は共産党」などと攻撃されたという。「議論するのではなく、あらかじめ陣営に帰属したうえでの誹謗中傷合戦」だった。</p>

<p>　そういう意味では、震災後ほどなく自民党の推進派議員たちが、かつて原発旗振り役だった東電副社長の経歴をもつ元参院議員を参与に据えて、「エネルギー政策合同会議」を発足させたとのニュースには驚かされた。いますべきことは未曾有の事故を引き起こしたことへの反省であるべきで、あらためて原発推進を掲げるにしろ、これまでの推進議員はむしろ引退すべきではないだろうか。米倉弘昌経団連会長が米誌のインタビューに答えて「（東電が）甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。恐らく、それよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電は全然、甘くはない」（2）などと語っているのも耳を疑う。</p>

<p> 「リスク社会」とか「再帰的社会」とか言われる現在、たとえば地球温暖化によるオゾン層の破壊は世界規模で広がるリスクだけれど、それが果たしてどれほどのリスクなのか明確に認識することは難しい。二酸化炭素排出をどれだけ削減したら安全なのかも実はわからない。だがリスクを避けるために、私たちは国を超えて行動せざるを得ない。前に進むしかない、ということである。一人ひとりの小さな行為がそのままシステムにはね返る。「北京で今日蝶が羽を動かせて空気をそよがせると、来月ニューヨークで嵐が生じる」とも言われるバタフライ効果である。</p>

<p>　私たちが享受してきたオール電化の快適生活が原発によって支えられてきたのは間違いない。原発中心のエネルギー政策の転換は私たちの生活改造と不可分である。一方で、一人ひとりが巨大システムに対して物申すべきでもあろう。マスメディアに代わって情報インフラの主流になりつつあるツイッター、フェイスブックといったソーシャルメディアはそのためにも役立つだろう。</p>

<p>＜注＞<br />
（1）マル激トーク・オン・ディマンド（http://www.videonews.com/on-demand/、第524回、2011年4月30日） <br />
（2）日本経団連会長、率直発言（1月22日）http://search.jp.wsj.com/search?q=%E7%B1%B3%E5%80%89%E5%BC%98%E6%98%8C<br />
</p>]]>
</content>
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<title>福島原発事故・被害住民・私たち（2011/5）</title>
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<modified>2011-06-01T13:13:29Z</modified>
<issued>2011-06-01T13:05:12Z</issued>
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<summary type="text/plain">　福島原発事故は、政府・東電のタイムスケジュールを見ても、なお3カ月程度は臨戦態...</summary>
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<name>yano</name>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　福島原発事故は、政府・東電のタイムスケジュールを見ても、なお3カ月程度は臨戦態勢が続く。事態が予断を許さないなかで、地域住民は放射能汚染の故郷を追われて、放浪の旅を余儀なくされている。</p>]]>
<![CDATA[<p>放射能汚染がコミュニティを崩壊させる　</p>

<p>　政府は4月22日、福島第一原発から半径20キロ圏外にある福島県下の５市町村（飯館村全域、川俣町の一部、葛尾村と浪江町の20キロ圏内を除く地域、南相馬市の一部）を原子力災害対策特別措置法に基づく「計画的避難区域」に指定した。地方自治体と連携しながら避難計画をつくり、避難先の確保や雇用対策などを行うという。</p>

<p>　また半径20キロ圏内は、同日から災害対策基本法に基づく「警戒区域」となり、住民も含めて原則立ち入りが禁止された。福島第一原発事故は大規模な地域の人びとの生活を一変させる事態になったわけである。</p>

<p>　南相馬市の20キロ圏で果樹園を営んでいる友人は、警戒区域になる前にと里帰りして一部荷物を運び出した22日、やるせない口調で「今の段階なら、ここに留まりたい。自分たちの判断ではなく、行政の都合で追い出されるのは我慢できない。ほとんどの住民はそう思っているのではないか。」と話した。</p>

<p>　放射能は危ない。生命と健康第一。だからみんなで避難を、と進められる政府主導の強制的な措置に対しては、割り切れない住民も多いようだ。これは別の知人が教えてくれたのだが、東洋経済オンラインに飯館村の菅野典雄村長のインタビューが載っている（1）。計画的避難区域発表前の4月18日に行われたもので、指定決定の間に政府との間で話し合いが行われたと思われるが、記事には＜「命が大切」というのは正論。しかし、その犠牲になるのもここの住民なんです＞という見出しがつけられ、画一的に「計画避難区域」に指定されることへの強い疑問が提出されている。</p>

<p>——（政府は計画的避難を打ち出したとき、避難の受け皿など何も考えていなかったのか、という問いに対して）何も考えていないですよ。いわゆる、国会議員、学者、マスコミ、国民、結局、みんな、「命が一番だよな」という問いに対して、「いや、違う」と言える人は誰もいない。そういうことに敏感に反応し、政府として何かをやらなければならない、ということになったのが計画的避難措置なのだ、と私は思っている。<br />
　避難措置に伴う経済面、生活面、精神面、子どもへの影響など、大変に心配です。職場などは全部がらがらぽん。ほとんど倒産します。健康も悪化する、精神的にもおかしくなる。子供にも大きな影響を与えます。<br />
　よく考えてください。そういうリスクと、いまうちの村にいて、たとえば放射線を相対的に多く浴びる中にいて、実際に被害が出るリスク。天と地ほどの差があるのではないですか。<br />
「命が大切」と言ったり書いたりしていれば、誰からも非難されない。しかし、その犠牲になるのはここの住民なんです。</p>

<p>原発に翻弄される地元</p>

<p>　家も、畑も、牛も、漁船も捨てて避難せざるを得ない人びとを代表する重い言葉である。<br />
　<br />
　一方、雑誌『週刊東洋経済』の4月23日号（東電特集をしている）には、第一原発のお膝元の双葉町の話が出ている。「東電に振り回された『双葉町』そして最後にはすべてを失った」というタイトルである。<br />
　<br />
　電源交付金、固定資産税、法人税、さらには東電への"安定"就業で他の自治体がうらやむ「富裕団体」になった双葉町では、これらの時限つき収入が途絶えたとき、さらなる交付金を求めようと、町議会が東電に7、8号機の増設を求める全会一致の決議をしたという。町の思惑通りに増設が進まないうちに今回の惨事になったわけが、双葉町は増設工事に使う町道の整備工事に30億円をかけて、財政難に拍車をかけていたらしい。<br />
　<br />
　その双葉町は、町役場そのものが埼玉県下を転々とする流浪を余儀なくされている。まさに原発に翻弄された町だと言えるだろう。</p>

<p>原子力科学者の建言</p>

<p>　新聞紙上ではあまり大きく報じられなかったけれど、3月30日に原発を推進してきた学者たちが国民に謝罪する声明を発表している（2）。顔触れは、田中俊一（前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長）、石野　栞（東京大学名誉教授）、齋藤伸三（元原子力委員長代理、元日本原子力学会会長）、など錚々たるメンバーで、彼らはまず「原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします」と述べた後、「特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである」と警告を発している。そのうえで、「私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである」と述べている。</p>

<p>　彼らがいま謝罪することの意味やその責任については、ここではふれない。原発に賛成してきたにしろ、反対してきたにしろ、原発事故が起これば、私たちの頭上に放射能が降ってくる。あっというまに生活の基盤が崩れ、営々と築きあげてきたコミュニティが崩壊するということである。地震や津波は自然災害だが、原発事故は災害ではない。今回は東北が被災地になったが、国土が狭い日本にあっては、だれもが明日は我が身である。それは、もちろん今日かもしれない。<br />
　<br />
　原発の安全性を、それを推進する技術者や電力会社、官僚や一部政治家に任せてきたのは誤りだったのであり、私たち一人ひとりが「原発に依存した快適な生活」を再考せざるを得ないということである。原発という巨大技術に立ち向かう「技術倫理」の再構築を迫っているとも言えよう。</p>

<p>＜注＞<br />
（1）http://www.toyokeizai.net/business/interview/（原稿出稿当時）<br />
（2）Peace Philosophy Centre(http://peacephilosophy.blogspot.com/p/blog-page_31.html（原稿出稿当時）<br />
</p>]]>
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<title>日本人に突きつけられた戦後最大の試練（2011/4）</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.cyber-literacy.com/blog/archives/2011/05/20114.html" />
<modified>2011-05-13T14:52:45Z</modified>
<issued>2011-05-13T14:48:01Z</issued>
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<summary type="text/plain">　マグネチュード9.0の地震、ついで襲った大津波。戦後最大規模の自然災害に、人災...</summary>
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<name>yano</name>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　マグネチュード9.0の地震、ついで襲った大津波。戦後最大規模の自然災害に、人災とも言うべき東京電力福島第一原子力発電所の大事故が重なった。これは日本人に突きつけられたまさに戦後最大の試練である。</p>]]>
<![CDATA[<p>　私は地震そのものを体験しなかった。地震が起こったのは2011年3月11日午後2時46分。イタリアから帰国する飛行機で成田上空にさしかかったころである。日本を大きな地震が襲ったらしいとの機内アナウンスがあったが、地上管制塔との交信も途絶えがちで、機長によれば「予想以上の事態らしい」とのことだった。飛行機はしばらく上空を旋回したあと、機長の判断で早々と函館に向かった。給油したあと成田か羽田に戻る予定だったが、両空港への許可は下りず、結局午後8時半、函館でいったん機内に出て一泊することになった。</p>

<p>　機内では乗客がケータイでニュースを見たり、メールしたり、電話したりしており、しだいに大事故の一端が明らかになってきた。私もケータイで事故のニュースに接した。神奈川県内に住む娘とはケータイがつながらなかった。息子は応答に出たが、「いま香港にいる。日本の情報はツイッターが一番早い」と答えた。東京で被災した彼の妻は、飯田橋から東京駅に向かい、さらに藤沢市まで歩いている途中だとのことだった。九州の友人からの電話もつながった。遠方だけが通じたわけである。</p>

<p>　宿に着いて見たテレビの映像は、悲惨きわまるものだった。</p>

<p>　翌午後1時すぎ同じ飛行機で成田に向かい、午後3時に到着。開通し始めた総武線快速で東京まで出て、東京からこれも開通したばかりの東海道線に乗って大船に着いた。迎えに来てくれた娘の車で自宅に戻った。</p>

<p>パーソナルメディアの活躍</p>

<p>　それから1週間は災害を報じるテレビやインターネットに釘つけ状態だった。津波のすさまじい破壊力と被災地の惨状には驚くばかりである。一方で、ときどき襲う余震に、今度は関東かとおびえたりもした。地震発生から10日たった3月21日現在でも、行方不明者の数がなお1万人を超えるという。まさに戦後最大の自然災害である。</p>

<p>　その中で多くの人が身近な情報ツールを有効に使い、自分たちや被災者の安否情報確認に役立てていた。<br />
　<br />
　21日のNHKテレビ（「クローズアップ現代」）によれば、宮城県多賀城市の市役所職員、Aさんは、本人も被災したが、当時たまたま実家の石巻市に戻っていた奥さんと子ども2人の消息がわからなかった。それが無事と判明した経緯には心あたたまるものがある。</p>

<p>　関東在住の青年が、石巻市の避難先の小学校で両親の無事を確認した。そのとき避難所に張り出されている安否情報を見て、「この情報をほしがっている人が他にもいるのではないか」と、避難者の名前をケータイカメラで撮って、インターネットの掲示板に上げた。それを見たやはり関東の若者が、名前を検索できるように活字にして打ち込み、再び掲示板にアップした。それを見たAさんの知人が「家族は無事らしいよ」とメールで知らせた。家族の無事を確認できたAさんは「そのときはさすがに涙が出た」と話していた。多賀城市と石巻市の間は数十キロ。しかし、Aさんが家族の避難先を探しあてることは不可能だったろう。若者のちょっとした善意のおかげでかけがえのない情報が伝わった。</p>

<p>　雑誌『週刊ポスト』4月1日号で、ジャーナリストの佐々木俊尚がこういう話を紹介している。広島の中学生が、被災者のためにとNHKの放送画面をビデオカメラにとって動画配信サイトのUSTREAMで流したところ、NHKの広報担当者がツイッターで「停電のためテレビがご覧になれない地域があります。人命にかかわることですから、少しでも情報が届く手段があるのでしたら、活用していただきたく存じます」と容認した。「ただ、これは私の独断ですので、あとで責任をとるつもりです」という但し書きつきだった。その後、NHKとフジテレビは公式に配信を始めたという。</p>

<p>　CNNが報じたところによると、宮城県南三陸町出身のカリフォルニア大学生B子さんは、地震直後に中学校の避難所にいる妹から無事のメールを受け取ったが、薬局を営む両親や姉の消息は3日間わからなかった。日本の友人からの電話で、「テレビにあなたの家族らしい一家が映っていた」との連絡を受け、インターネットでさまざまに検索、ついにその映像がユーチューブにアップされていることを見つけた。そこには、丘の上でほとんど破壊された家の2階バルコニーに「○○家」の紙を掲げた家が映し出され、ヘリで近づいた報道陣に姉が「カリフォルニアにいる妹に無事だと知らせてくれ」としゃべる声も収録されていた。B子さんのインタビュー映像もユーチューブで流されている。</p>

<p>希望の光を見る思い</p>

<p>　今回の地震では、ケータイ、ツイッター、ユーチューブ、SNSなど、多くのパーソナルメディアを通じて、さまざまなドラマが繰り広げられた。報道陣や地方自治体、防災関係者もツイッターを大いに活用したようである。</p>

<p>　これらのツールが無責任なデマを拡散させた例もあるが、それを中和する動きも見られた。また原発事故に対する東京電力や政府の対応のまずさへの批判、原発の危険な現状について、あるいは日本からの脱出を進める各国の動きについて、マスメディアではよく伝えられなかった事実が、各種のメーリングリスト、ブログ、ユーチューブなどを通して多くの国民の間に浸透した。「総メディア社会」におけるマスメディアとパーソナルメディアの垣根が取り払われているのが象徴的である。</p>

<p>　被災した人びとが懸命に、前向きに生きようとする姿は、多くの国の人びとに強い感銘を与えたが、さまざまな救援活動に取り組んだ人びとの小さな活動や、その後の精力的なボランティア活動には希望の光を見る思いがする。</p>

<p>　イタリアでは、紀元１世紀の昔、ベスビオ火山の噴火で埋没したポンペイの遺跡も見た。今でも街の全貌がうかがわれる石造りの頑丈さには目を見張らされたが、被災した東北の町々が新しい装いのもとに復活することを強く願わざるにはいられない。<br />
</p>]]>
</content>
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<title>東北関東大震災とinnocent fraud</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.cyber-literacy.com/blog/archives/2011/03/innocent_fraud.html" />
<modified>2011-03-25T12:41:44Z</modified>
<issued>2011-03-24T08:06:50Z</issued>
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<created>2011-03-24T08:06:50Z</created>
<summary type="text/plain">　今回の地震および津波で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。同時に、被災した...</summary>
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<name>yano</name>
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<email>yano@cyber-literacy.com</email>
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<dc:subject>スクラップ</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　今回の地震および津波で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。同時に、被災したすべての方に心からお見舞い申し上げます。</p>

<p>　＜以下の文章は、<a href="http://www.issj.net/">情報システム学会</a>メールマガジン（2011.3.25、No.05-12）のコラム「システムの肥大と人間の想像力⑤」</a>の主要部分を編集部の了解を得て転載したものです＞<br />
</p>]]>
<![CDATA[<p>　地震が起こったのは2011年3月11日午後2時46分だが、私はそのときイタリアから帰国する飛行機で成田上空にさしかかっていた。日本を大きな地震が襲ったらしいとの機内アナウンスがあったが、地上管制塔との交信も途絶えがちで、飛行機はしばらく上空を旋回したあと、早々と函館に着陸した。給油後に成田か羽田に戻る予定だったが、両空港への許可は下りず、結局その日は函館泊。翌午後１時すぎ同じ飛行機で成田に向かい、午後３時に到着。開通し始めた総武線快速で東京まで出て、東京からこれも開通したばかりの東海道線に乗って大船に着いた。迎えに来てくれた娘の車で自宅に戻った。</p>

<p>　マグネチュード9.0の地震、ついで襲った大津波。戦後最大規模の自然災害に、人災とも言うべき東京電力福島第一原子力発電所の大事故が重なった。これは日本人に突きつけられたまさに戦後最大の試練と言っていいだろう。</p>

<p>　前回、<a href="http://www.cyber-literacy.com/ja/about/index.html">サイバー空間の上にすっぼり乗っかってしまった現実世界の図</a>（＜サイバー空間と現実世界の交流史＞の図4）を示したけれど、地震はこの図を稲妻のように切り裂き、現実世界の土台が崩れ、同時にサイバー空間もまた大きく揺らいだ。この図をもう一度考えてみたい。</p>

<p>　東京電力の原発事故は3月23日現在、なお危機的状況を脱していないようだが、世界各国の発電量における原発依存率を<a href="http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/shuyoukoku/sw_index_03/index.html">電気事業連合会「原子力・エネルギー図面集2010」</a>で見ると、以下のようである（1）。</p>

<p>　フランス　77.1％<br />
　韓国　34.0％　<br />
　日本24.0％<br />
　ドイツ23.5％<br />
　アメリカ19.3％<br />
　ロシア15.7％<br />
　イギリス13.6％<br />
　中国　2.0％</p>

<p>　一方、日本が世界有数の地震国であることも間違いない。面積の大きさや地震規模のとり方などで数字は変動するが、ここでは本川裕<a href="http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4380.html">「社会実情データ図録」</a>が日本の面積（37万平方キロ）当たりで計算した世界各国の地震頻度（マグニチュード5.5以上、回／年、1980年～2000年平均）の数字を上げておこう。</p>

<p>　中国　2.10<br />
　インドネシア　1.62<br />
　イラン　1.43<br />
　日本　1.14<br />
　アフガニスタン0.81<br />
　トルコ・メキシコ　0.76</p>

<p>と続く。以下アトランダムに、アメリカ0.48、ロシア0.29、ドイツ0.05などとなっている。フランスは表に出ていない。地震がほとんどないということである。</p>

<p>　二つの数字から明らかなのは、地震国でかつ原発推進国である日本の突出ぶりである。地震が多いから原発はやめようと考えずに、地震国ではあるが原発も必要、と唯一の被爆国でありながら原発を推進してきた日本に、どれだけの覚悟があったのだろうか。</p>

<p>　アメリカの経済学者、ジョン・ガルブレイスは2004年に”The Economics of Innocent Fraud”（邦訳『悪意なき欺瞞』）（2）という本を書き、「経済学界や政治学界においては、個人または集団が手にする金銭的利益が現実を見えにくくするという傾きが、他の学問分野に比べてはるかに顕著である（序）」として、なぜそうなのかを考察した。</p>

<p>　このinnocent fraudという表現をどう解すべきなのか。innocentは「悪意なき」、「無邪気な」ということではあるだろうが、ガルブレイスが言及している事例を見ると、もっと皮肉に「臆面もなき」、「あっけらかんとした」、「無邪気を装った」、「無知を決め込んだ」、「より悪質な」、「強欲な」と言えなくもない。だからガルブレイスの優しさとはずれるけれど、unconscious fraudと言った方がいいようにも思う。原発推進に猛進した日本政府、電力関係者ばかりではなく、私たち国民全体について言っているのである。</p>

<p>　これは情報セキュリティ大学院大学学長の林紘一郎さんに聞いた話だが、彼が日本経済新聞紙上でひとひねりしたグーグル擁護論を書いたとき、名和小太郎さんが「あなたもグーグルをinnocent fraudと考えているのか」とメールをくれたそうである（私には、グーグルがinnocent だったとしても、その到達しつつある状況から考えると、ただunconscious だっただけではないかと思われる）。<br />
　<br />
　名和さんはinnocent fraudを「悪意なき嘘」と訳して、自著のサブタイトルに用いた（3）。彼はこの本で、情報技術や通信技術が発達している条件として以下の三つを上げている。「その第一は、最初から未来を予見できるようにはしないということ、つまり、問題をすべて部分最適の発想で解決してしまう。その第二は、部分最適以上のことはできないように、社会の動きを加速してしまう。その第三は、社会の動きを加速するために、つねにリスクが充ちているような構造に社会を仕向けてしまう」（まえがき）。</p>

<p>　もちろん原発技術とITを同列に論ずるのは乱暴ではあるが、技術を使う人間の知恵ということをもう一度考えるべき時だと思われる。サイバーリテラシーに引き戻して言えば、結局のところ、サイバー空間と現実世界の関係を<a href="http://www.cyber-literacy.com/ja/about/index.html">第一段階</a>（図1）に回帰させるべきだということではないだろうか。これは「現実世界の復権」ということでもある。<br />
 <br />
　<br />
＜注＞<br />
（1）主要国の電源別発電電力量の構成比（「原子力・エネルギー」図面集2011）。世界全体では、石炭40.9％、天然ガス21.3％、水力15.9％、原子力13.5％、石油5.5％などとなっている。<br />
（2）ジョン･K･ガルブレイス『悪意なき欺瞞』（佐和隆光訳、ダイヤモンド社、2004年、原著”The Economics of Innocent Fraud”2004）<br />
（3）名和小太郎『イノベーション　悪意なき嘘』（岩波書店、2007年）<br />
</p>]]>
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<title>モバイル端末で何でもできる時代の到来（2011/3）</title>
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<modified>2011-03-20T06:18:58Z</modified>
<issued>2011-03-20T06:11:41Z</issued>
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<created>2011-03-20T06:11:41Z</created>
<summary type="text/plain">　アップルのアイフォンをきっかけに、ケータイは基本ソフトを備えた高機能機種の時代...</summary>
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<name>yano</name>
<url>http://www.cyber-literacy.com/</url>
<email>yano@cyber-literacy.com</email>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　アップルのアイフォンをきっかけに、ケータイは基本ソフトを備えた高機能機種の時代に入った。この高機能ケータイはスマートフォンと呼ばれ、パソコンに変わる新しい情報端末の地位を獲得しつつある。</p>]]>
<![CDATA[<p>　スマートフォンの特徴は、パソコンと同じようにインターネット上のあらゆるサービスにアクセスできることである。とくに日本においては、これまでの携帯電話各社の制約から離れて、インターネットの大海に自由に乗り出せることに意味がある。</p>

<p>スマートフォン、パソコンの出荷台数を抜く</p>

<p>スマートフォン（Smartphone）は、携帯電話にPDA（Personal Digital Assistants）並みの機能を付加しようという考えから、基本ソフトを組み込んだ携帯電話として開発が進められた。スマートフォンという名で最初に売り出された機種は１９９７年のエリクソン社製だという。キーボードを備えたブラックベリー（BlackBerry、カナダのＲＩＭ社製）は欧米でビジネスマンの間で人気があり、オバマ大統領も愛用しているとか。</p>

<p>　アップルがアイフォン（iPhone）を売り出したのは2007年で、タッチスクリーン方式のスマートフォンとして、2009、2010年に一気に普及した。グーグルのOS、アンドロイド（Android）などを搭載した機種も登場している。</p>

<p>　スマートフォンはネットサイトの閲覧や音楽のダウンロード、ツイッターを使ったコミュニケーションなど、パソコン用のサービスを何の制約もなく利用できるばかりか、ビジネス用ツールやゲームなど多彩なソフト（いわゆる「アプリ」＝アプリケーションソフト）を導入できるのが強みである。以前、本連載で紹介したタイガーテキストもアイフォン用アプリだが、アイフォンの普及には、アップルが用意したアプリ提供サイト、アップストアの存在が大きかった。電子書籍の場合と同じように、端末+ソフトの組み合わせが新しいビジネスの形になっている。</p>

<p>　米調査会社のIDCが2月に発表した2010年10月から12月期の<a href="http://www.designtaxi.com/news/33985/Smartphones-Pass-PC-Sales-for-First-Time/?page=1">スマートフォンの世界出荷台数</a>は前年同期比で87％増の１億90万台（1）。同じ時期のパソコンの出荷台数を初めて上回った。また半導体メーカーのインテルは2011年から生産の主力をモバイル端末用に切り替えることを明らかにするなど、世界的にパソコンからスマートフォンへの動きが急である。</p>

<p>日本技術の「ガラパゴス化」</p>

<p>　日本でも、ソフトバンクがアイフォンを販売、NTTコモやKDDIなどもアンドロイドを組み込んだスマートフォンを売り出しつつある。</p>

<p>　ところでスマートフォンを「高機能ケータイ」と表現するのは、日本的には正しくないかもしれない。日本におけるケータイは、NTTドコモが1999年にiモードを発売、世界に先駆けてインターネットにアクセスできる環境を提供するなど、早くから音声通話やメールのほかに、ウエブを閲覧できたり、写真が撮れたり、財布代わりになったりと、さまざまな機能を付加してきた。ケータイはすでに高機能化していたわけである。</p>

<p>　しかし、これはもっぱら日本だけの仕様で、これらの技術が海外にまで普及したわけではない。そこにはケータイ各社独自の方式が組み込まれており、たとえばインターネットへのアクセスにしても一定の制限があった。</p>

<p>　この日本的な特徴が、日本をケータイ先進国に押し上げた原因であり、またその技術が世界に広がることを妨げてきた理由でもある。このように国内で独自の進化をとげ、かえって世界標準から離れてしまう日本技術のあり方は、「ガラパゴス化」などと言われる。</p>

<p>　南米エクアドルから西方900キロ離れた太平洋上にあるガラパゴス諸島は、大陸から離れていたために多くの生物が独自の進化を遂げたことで有名だが（ダーウィンに進化論のヒントを与えた）、それを引き合いに、日本の技術は日本独自の進化を遂げつつも、それが世界に広がらず、かえって世界から取り残されてしまう例えとして使われる。<br />
　ウエブ上の野村総合研究所<a href="http://www.nri.co.jp/navi/2008/080213_1.html">「『ガラパゴス化』する日本」</a>は、この現象を以下のように整理している。</p>

<p>　①高度なニーズに基づいた製品・サービスの市場が日本国内に存在する<br />
　②一方、海外では、日本国内とは異なる品質や機能要求水準の低い市場が存在する<br />
　③日本国内の市場が高い要求に基づいた独自の進化をとげている間に、海外では要求水準の低いレベルで事実上の標準的な仕様が決まり、拡大発展していく<br />
　④気がついた時には、日本は世界の動き（世界標準）から大きく取り残されている</p>

<p>　もっとも、「海外では要求水準の低いレベルで事実上の標準的な仕様が決まり」という表現は、ちょっと身びいきにすぎるだろう。ケータイの場合、欧米においては、いわゆるセルフォンとして音声通話やメールに特化した形で発達、より高機能化するときには、また別のパソコン並みの工夫をしたということである。</p>

<p>　日本技術のガラパゴス化は、パソコン普及期にNECのPC-9800シリーズが国内では大きなシェアを獲得しながら、結局はIBM-PC互換機に市場を奪われたのが典型的である。注（1）で示したスマートフォン出荷台数のシェアで韓国、台湾の企業が含まれているのに日本企業の姿が見えないのは象徴的でもある。</p>

<p>文化のあり方にも影響？</p>

<p>　日本で売り出されたスマートフォンには、ワンセグ、お財布など従来のケータイが持つ機能も組み込まれている。スマートフォンの今後は、日本技術のあり方、さらには日本文化のあり方にとっても興味深いテーマを提供している（現行の未成年者向けのフィルタリングソフトもスマートフォンにはそのまま適用できないという問題もある）。<br />
　<br />
　それはともかく、前回で取り上げた電子書籍端末も含めて、時代はいよいよ携帯情報端末の時代になりつつある。ツイッターのようなサイバー空間と現実世界をリアルタイムで結びつける道具の登場や、アプリケーションソフトやデータを自分の手元ではなくネットワークに置くクラウド･コンピューティングの発達は、端末の負荷をどんどん軽くもしている。社会はWeb2.0が切り開いた時代のさらに先に進み、「総メディア社会」がいよいよ進展している。</p>

<p>（1）ちなみに出荷台数シェアは、Nokia28.0（フィンランド）、Apple16.1（アメリカ）、Research In Motion（カナダ）14.5、Samsung（韓国）9.6、HTC（台湾）8.5、その他23.3（各％）となっている。<br />
</p>]]>
</content>
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<title>電子端末が先導する情報のばら売り時代（2011/2）</title>
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<modified>2011-03-20T06:11:26Z</modified>
<issued>2011-03-20T06:06:37Z</issued>
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<summary type="text/plain">　2010年は電子書籍元年と言われた。今年になってからも、新たなタブレット型端末...</summary>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　2010年は電子書籍元年と言われた。今年になってからも、新たなタブレット型端末が登場したり、本をいったん断裁してスキャナーで読み込んで私的電子書籍を作る動きが広がったり、「電子書籍」をめぐる話題は依然としてにぎやかである。</p>]]>
<![CDATA[<p>　6日から米ラスベガスで開かれた世界最大の家電見本市「コンシューマーエレクトロニクス･ショー（CES）」でパナソニックは、グーグルの基本ソフト（アンドロイド）を搭載したタブレット型端末を発表した。アップルのアイパッドの対抗機で、年内に世界各地で販売するという。シャープも日本国内で販売している多機能端末「ガラパゴス」で北米市場に参入することを明らかにした。電子書籍端末の競合時代が始まったと言えよう。</p>

<p>「電子書籍元年」の意味</p>

<p>　昨年が電子書籍元年と言われたのは、以下の2つの動きが同時に進行したからである。</p>

<p>　①アマゾンのキンドル（kindle）、アップルのアイパッド（iPad）に代表される電子書籍端末の登場。<br />
　②アマゾンとグーグルがリードした書籍のデジタル化とオンライン配信。</p>

<p>　電子媒体を使って「本」を読む試みは、早くは1995年の「新潮文庫の100冊」CD-ROM版発売や、ネットでのテキストのダウンロード販売「パピレス」、シャープの「ザウルス文庫」など、日本でもさまざまな試みが続けられ、1998年には出版界こぞって「電子書籍コンソーシアム」という実験プロジェクトも始まったが、ハード、ソフト両面の技術の未発達や関係者の思惑違いなどから、いまひとつ軌道に乗れなかった。</p>

<p>　それが2010年になって、例によってと言うべきか、アマゾン、グーグル、アップルなどの米IT企業の攻勢が始まり、それが日本をも巻き込む動きに発展した。</p>

<p>　前者の電子端末について言うと、アマゾンが電子書籍端末のキンドルをアメリカで発売したのが2007年で、2010年には日本語フォントも搭載したキンドル3を発売した。一方、アップルのアイパッド発売は、すでに本欄でも紹介したように、アメリカで2010年4月、日本で5月である。ディスプレイは、キンドルがｅインク、アイパッドが液晶と仕様は違うが、ディスプレイで文字を見ることへの抵抗は、若者を中心にどんどん薄れていると言えよう。日本でもソニーの「リーダー」、シャープの「ガラパゴス」などの電子書籍端末が登場した。</p>

<p>　後者のコンテンツに関係する動きは多様である。<br />
　<br />
　アマゾンが2003年からやっている、オンライン販売書籍の一部を読めるようにするサービス、Search Inside（日本での「なか見！検索」）を徹底させれば、電子書籍販売になる理屈である。アマゾンは端末のキンドルさえ買えば、独自の電子書籍サイトにアクセスできるようにし、そこに多くの電子書籍をそろえた。新刊に関しては電子書籍の方が安い価格設定をするなどの販売作戦も行い、現在書籍タイトルは75万冊を超える。</p>

<p>　一方、グーグルは2004年から一部の図書館などの協力を得て、書籍をデジタル化してユーザーが読めるようにするサービス「グーグル書籍検索」を始めた。このサービスをめぐって、著作権者の米作家協会や米出版社協会などが｢無断で著作物をデジタル化して公開するのは著作権侵害だ」とグーグルを相手取って訴訟を起こし、その和解案が日本の著作物にも影響するとして大きな社会問題になったのが2009年である（これについては本連載でも取り上げた）。</p>

<p>　このプロジェクトはいまも進んでいるが、同時にグーグルは電子書籍を販売するウエブサイト、「グーグル･イーブックスストア」も始めて、すでに無料（280万冊）も含めて300万冊をそろえたという。日本でも近く開始の予定だ。<br />
　<br />
　アップルは楽曲販売の「アイチューンストア」に並行して、「アップストア」で書籍販売も始めている。日本においても、「リーダー」や「ガラパゴス」は、出版社や新聞社、印刷会社などと提携したプロジェクトで、独自の書物の品揃えを急いでいる。</p>

<p>アップルが先鞭をつける</p>

<p>　電子書籍競争は出版業界そのものの大変動を引き起こしているが、実は、これはアップルが音楽事業で行った「流通革命」を出版界に及ぼすものと言える。アップルはアイポッドというしゃれた音楽視聴端末を提供するだけでなく、楽曲そのものをオンラインで買えるシステムを作った。端末メーカーが音楽流通部門に参入、「端末＋コンテンツ」という新しいビジネスを開拓、あっという間に定着させた。</p>

<p>　音楽は、作曲家や演奏家、あるいはジャンルごとにいくつかの曲をパッケージ化して、主として街のレコード店で売られるものから、好きな曲ごとにオンラインで買うものへと比重を移したわけである。「メディアとメッセージが分離する」総メディア社会の特徴を考えれば、これは必然の成り行きと言えよう。</p>

<p>　だからいま進んでいるのは出版業界そのものの再編であり、メディア地図の激変である。これが電子書籍問題の核心である。</p>

<p>「自炊」や「海賊版」の動き</p>

<p>　一方で、書籍のデジタル化は、さまざまな余波を生んでいる。<br />
自分が買った本を断裁機でページごとにばらして、それをスキャナーで読み込み自家製電子ブックをつくることは「自炊」などと呼ばれるが、自分が買ってきた本である限り何の問題もない。ところが「自炊」を代行する商売が登場して、これが著作権法上の「私的利用」の範囲内の行為なのかどうか、議論を呼んでいる。店内に表紙や背をはがした裁断済みの本を並べ、そこにスキャナーまで用意した店まで登場した。この断裁本は何度も利用されるわけで、著作権に触れることは明らかである。</p>

<p>　また、昨年暮れにはアップストアで村上春樹の小説の中国語版やロシア語版、東野圭吾の日本語版のそれぞれ海賊版が売られるという事件もあった。さっそく日本出版協会などがアップルに抗議したが、これをアップルが「デジタル海賊版を提供した者が著作権者との間で解決すべき問題」とノータッチを決め込むのも難しいだろう。<br />
</p>]]>
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<title>ツイッターで写真の撮影場所を突き止める（2011/1）</title>
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<modified>2011-01-28T04:10:10Z</modified>
<issued>2011-01-28T04:05:24Z</issued>
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<summary type="text/plain">　前号でふれたように、電子メディアが既存の社会秩序を大きく揺るがせており、私たち...</summary>
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<name>yano</name>
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<email>yano@cyber-literacy.com</email>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　前号でふれたように、電子メディアが既存の社会秩序を大きく揺るがせており、私たちはその衝撃に十分対応できないでいる。一方で、新しいツールが思いがけない「美談」を生みだすこともある。新年号でもあり、今回はツイッターをめぐる少し心あたたまる話である。</p>]]>
<![CDATA[<p>　ある人がツイッターに以下の投稿をした。2010年6月の話だから、すでにご存じの方もいるかもしれないが、私自身はつい最近になって、教えている大学の学生の投稿でこの話を知った。あえて紹介することにしよう。</p>

<p>撮影場所はどこ？</p>

<p>　最初の投稿は6月9日12時44分である。「先日亡くなった知人のお父様が、桜の時期に埼玉を訪れた際に撮った写真です。最後の旅行の軌跡を巡るたびに行きたい。ただここだけがわかりません。埼玉の方お知恵を貸してください」。知人のお父さんが撮ったという写真が添付されていた。<br />
　<br />
　その後の主な動きを、<a href="http://togetter.com/li/28728">まとめサイト</a>にある約300件の「つぶやき（ツイッターに書き込まれた140文字以内のメッセージ）」で再現すると──<br />
　<br />
　5分後の12時49分に早くも反応があり、具体的に「岩槻公園ではないか」、「東浦和駅使くの公園かも」、「うちのスタッフが草加公園のような気がすると言っています」、「いや、漢字ではなく、そうか公園です」、「埼玉の公園リストです」など、写真をもとにいろんな人が候補地と見られる場所を上げ、それを投稿者（Tさん）がそのたびに「ありがとうございます」とお礼を述べつつ、丁寧に整理して事態は進む。</p>

<p>　その間には「ツイッター、すごい。あらためて実感しています」、「通りすがりに失礼します」、「埼玉はわからないので全くお力になれませんが、無事判明することを祈ります」といった外野からの応援も加わった。夜になっても投稿は衰えず、22時過ぎには投稿が1000件を超えたらしい。そのころにTさんが多くの人の情報や写真（映っている橋や椅子、看板など）を検討した結果、問題の場所は蓮田市の西城沼公園だと99％の確率で断定する。 </p>

<p>感謝のメッセージ</p>

<p>　そして、この公園を強く推した投稿者の1人が、翌10日午後3時51分に仕事の合間にその公園を訪れて撮影した写真をアップ、無事決着となった。その時の「証拠とれましたよ（^ｏ^）西城公園（西城沼公園のこと：矢野注）で間違いないです！後で写真アップします」という「つぶやき」には、自宅近くの公園が突然“脚光を浴びた”ことへのすなおな喜びが反映されている。<br />
　<br />
　直後のTさんのメッセージ（16時13分）は「なんだかものすごく感動しています。たった今、本人に写真をメールしました。絶対に間違いありません……。本当にありがとうございました。ツイッターの勝利!!」だった。</p>

<p>　こうしてウエブ上に桜が咲き乱れる「捜索写真」と、まだ新緑が豊かに繁った「西城沼公園」の現風景が、よく似た角度でアップされた。間違いなく同一場所である。<br />
　<br />
　Tさんに撮影地探索を依頼した知人はツイッターをやっていないらしく、Tさんに託した感謝のメールが、Tさんによってアップされている。</p>

<p>　○○さま（Tさんのことと思われる：矢野注）、ツイッターの皆様、時間を割いて調べていただき、心から感謝いたします！見つかったんですね……ツイッターの方が撮影してくださったお写真を見て思わず震えました…。家族一緒に涙しています。画質の悪い写真から見つけることは藁にもすがるおもいでした。<br />
　これで、父が最後にひとりで旅した、唯一わかる場所に行けます……何とお礼してよいか分かりません…ほんとうに、ほんとうにありがとうございます…父が何故ここに行ったのかはわかりません。父の遺灰と共に「西城沼公園」へ行き、父の気持ちを考えたいと、今はそう思っています。<br />
　もしかすると、この写真を残した理由は、都会でもまれ過ぎた私に向けて、人のあたたかさを教えるためだったのかもしれません。<br />
○○さま、ツイッターの皆様、重ねて、本当にお力添えしていただき、ありがとうございました。<br />
　<br />
　そこにはＴさんへの追記として「ツイッターの皆様には、宜しくお伝え下さい。全文お願い致します！簡単に奇跡という言葉は言うものではないですが、本当に私は縁による奇跡に出会えました……」と記されていた。</p>

<p>「ソーシャルってすごい」</p>

<p>　その後にいろんな人がコメントしている。</p>

<p>　「これは本当にいい話……。人のやさしさが伝わってくるなぁ」、「よかった、よかった」、「なける」、「もうちょっと脚色して映画化できないかな？」、「これ、わずか1日での話なのか。ソーシャルってすごいな」などなど。<br />
　<br />
　ささやかな出来事ではあるけれど、多くの人が夢中になって協力している姿はやはりさわやかである。たしかにツイッターがなければ、父親が生前に撮った写真の場所を探し当てることはほぼ不可能だっただろう。<br />
　<br />
　以前、ツイッターについて紹介した時（本誌2010年2月号）、サイバー空間と現実世界を緊密に連携させる新しいツールだと述べたけれど、事態はこのように進展してきた。<br />
　<br />
　出版社が毎年選定している流行語大賞の2010年度トップ10には、ツイッターのつぶやきによく使われる「なう」（いまここにいる、いまこれをしているという時の慣用句。「渋谷なう」、「映画なう」など）という独特の表現が選ばれている。こうして見ず知らずの人びとがコミュニケーションし、実際に出会っている。<br />
　<br />
　これも新しいツールが既存秩序を大きく揺るがせている一つの例である。<br />
</p>]]>
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<title>尖閣諸島漁船衝突ビデオの流出（2010/12）</title>
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<modified>2011-01-28T04:05:16Z</modified>
<issued>2011-01-08T14:20:11Z</issued>
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<created>2011-01-08T14:20:11Z</created>
<summary type="text/plain">　尖閣諸島近海で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件のビデオ映像が動画配信...</summary>
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<name>yano</name>
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<email>yano@cyber-literacy.com</email>
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<dc:subject>雑誌『広報』バックナンバー</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　尖閣諸島近海で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件のビデオ映像が動画配信サイト「ユーチューブ」で流れた。グローバルな内部告発サイト、ウィキリークスの活動や警視庁が作成したテロ関係資料の流出など、従来は簡単には外部に漏れなかった情報がインターネットを通じてあふれ出ている。</p>]]>
<![CDATA[<p>国単位のメディアや政治システムに亀裂</p>

<p>　尖閣諸島の事件は9月7日に起こり海上保安庁は中国漁船の船長を逮捕したが、直後に中国から強い抗議とともに激しい政治的圧力が加えられ、政府はそれに屈するようにして船長を釈放した。</p>

<p>　中国側が「釣魚島は中国領土で、そこで操業する中国漁船を妨害、駆逐、包囲しようとした日本の行動そのものが不法である」という態度をとっているためもあって、衝突はどうして起こったのかという真相への関心が国民の間で高まり、映像記録を公開すべきだとの声も強かった、しかし政府は一部国会議員に見せただけで、一般に公開しなかった。その対応に強い不満がもたれていたところへの映像流出で、「自分がやった」と名乗り出た神戸海上保安部の保安官は「国民はこの映像を見るべきだ」と述べている。</p>

<p>　この事件で驚異的なのは、何よりもその映像の威力と伝播力である。<br />
　<br />
　保安管は11月４日夜、自宅近くのインターネットカフェから映像をユーチューブにアップ、翌朝、ネットで騒ぎになっていることを確かめたあと削除している。この半日たらずの間に、映像は多くの人によってコピーされ、「流出映像」、「拡散推奨」、「コピー転載」などとタイトルをつけられて再度ユーチューブに投稿されたり、ニコニコ動画など他の動画サイトにアップされたりした。</p>

<p>　海上保安庁は動画サイトの運営元であるグーグルに削除を要請したりしたが、ネット上には「よく公開してくれた」、「もっと多くの人に知らせよう」といった意見もあふれ、まさにざざ漏れ状態。だれもが見える状況になった。<br />
　<br />
　たとえば一新聞、あるいは一雑誌がこの映像を流したとしよう。もちろんこれらのメディアでは映像は扱えないから、組み写真として公開するしかない（テレビなら別である）。音声も入れられないが、それでもある程度の情報は伝えられる。しかし、これを取り締まろうとすれば、雑誌を店頭から回収するなどの措置がとれる。インターネットというコピー自由なメディアでは、流出してしまった映像を回収することはほぼ不可能だということである。</p>

<p>多くの人の「共同作業」</p>

<p>　この映像が瞬く間に広がったのは、この映像を見て驚き、より広く伝えたいと考えた多くの人たちの「共同作業」でもあった。彼らの行動がなければ、これだけ急速には広がらなかった。ここには真相をあいまいなままにし、外交的にも毅然たる姿勢を取り得なかった政府のやり方に対する国民の批判があったことは間違いない。<br />
　<br />
　もう一つ、かつて新聞社に勤務していた身としての感慨だが、海上保安庁内でそれほど秘密にもされていなかったらしい映像がなぜマスメディアで一切報道されなかったのだろうか。ここにジャーナリズムの足腰の弱さを感じるが、一方で、「内部告発」メディアとしてのマスメディアの地位が低下したとも言える。<br />
　<br />
　かつて内部告発の受け皿は新聞であり、雑誌であり、テレビであった。私も記者クラブに加入していたことがあるけれど、記者クラブにはさまざまな人から内部告発に近い話が持ち込まれた。個々の新聞社や記者個人に持ち込まれることの方がむしろ多く、これらは内部では「たれ込み」と呼ばれ、記者たちがそれを報道すべきだと考えれば取材をして記事にした。そのとき、情報提供者（取材源）の秘密を守るのが記者倫理だった。<br />
　<br />
　もっとも、後に報じられたところによると、海上保安官は最初、映像の入ったSDカードを米メディアであるCNNの東京支局に郵送したらしい。それが報道されたとすれば、問題は報道すべきだと考えた報道機関をめぐる「表現の自由」やジャーナリズムのあり方の問題となり、保安官その人の素性が知られることもなかっただろう。保安官は現在、国家公務員法の守秘義務違反の疑いで任意捜査を受けている。</p>

<p>「国益」より「公益」</p>

<p>　ウィキリークスを取り上げたときもふれたけれど、ベトナム秘密文書をニューヨークタイムズが暴露するにあたっては、国民の「知る権利」、「民主主義の擁護」、「表現の自由」などさまざまな観点から公開の是非が論議されたが、そこにはアメリカという国の「国益」も含まれていた。その国益と民主主義の擁護との兼ね合いも問題になったはずである。</p>

<p>　ところがウィキリークスはグローバルなメディアであり、その報道は「国益」とは本来無縁である。ウィキリークスは「表現の自由」により手厚い政策をとりつつあるアイスランドに拠点を移そうともしている。そこにあるのは、「国益」よりも広い、全人類を対象にした「公益」である。<br />
　<br />
　CNN東京支局は、差出人不明のSDカードに対し、ウィルスの危険を感じて廃棄したというが、もし中味を確認していれば、また別の困難な問題が生じたと思われる。</p>

<p>　尖閣諸島ビデオ事件より少し前には、警視庁の内部資料と見られる国際テロ関係の文書がインターネットで流出している。また尖閣諸島ビデオは中国にも流れた。「巡視船が漁船の進路を妨害した」といった抗弁をあっさりと否定するような映像が流れることは中国側にとっても頭の痛い事態であることは間違いない。<br />
　<br />
　国境を越えて広がるグローバルなメディアが国単位のメディアや政治システムを大きく揺さぶっている。<br />
</p>]]>
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